第1343回「今日一日笑顔で」

姫路市連合仏教会の講演に招かれ、講演のあと、かねてからお参りしたいと念願していた盤珪禅師の龍門寺にお参りすることができました。

その日は姫路に一泊して、もう一ヶ寺お参りしたいお寺があって、翌日お参りさせてもらってきました。

それは姫路の隣にあるたつの市の宝林寺であります。

宝林寺というのは、京都大徳寺の開山である大燈国師のご生誕地であります。

いまも境内には大燈国師産湯の井戸が残っています。

大燈国師のお弟子が、妙心寺の開山関山慧玄禅師で、その系統から白隠禅師がお出になって今日に到るまで臨済宗の教えが伝わっています。

我々ただいま臨済禅を学ぶ者にとっては大事な大事な祖師であります。

そして、その寺に住職していたのが西村宗斎和尚でありました。

西村和尚のことはたびたび紹介しています。

二〇二二年六月に西村和尚の法話集『オギャーでいいのだ』が出版されて、その頃にもこの本を紹介しています。

二〇二二年の七月八日の管長日記で、「オギャーでいいのだ」と題して書いています。

西村和尚は私よりも二歳年上でありました。

西村和尚については、平成三十一年(2019)、臨黄ネットに執筆された法話を読むのが一番だと思います。

臨黄ネットから一部を引用します。

「一昨年の12月、医師より「スキルス性胃ガン。リンパ節と肝臓に転移。ステージ4。放置すればあと3、4ヶ月」という診断を受けました。

私は思わずひとこと「やめます」と。

誤解されては困ります。

「(良寛禅師の)死ぬる時には死ぬるがよかろうと言うのを、やめます」です。

その後、抗ガン剤治療のため入院。夜中にひとり淋しくベッドで坐禅をしておりました。

「ああ、俺ももう長くないのか。

諸行無常ってこういうことだったのか。やっぱりお釈迦さまは本当のことを言ってるな。

しかたがない。明日のことはわからない。

でも、今は生きてる。

これは絶対間違いない。

じゃあ、この今日をどう生きるか」。

その時、心に浮んだのは円覚寺派管長、横田南嶺老師のお言葉でした。

明日はどうなるかわからないけれど
今日一日は笑顔でいよう。
つらいことは多いけれど
今日一日は明るい心でいよう。
いやなこともあるけれど
今日一日は優しい言葉をかけていこう。

私のような者が、世界平和や人間救済を弄するなどとは誠におこがましい限りですが、新春の初笑いに免じておゆるし下さい。

題しまして、「私の四弘誓願」。

いろんなひとがいるけれども 今日一日 やさしい心でいよう
いろんなことがあるけれども 今日一日 あかるい心でいよう
この道は遠いけれども 今日一日 一歩すすもう
何があっても大丈夫 今日一日 笑顔でいよう」

というものです。

二〇二〇年の一月十一日から、宝林寺で、五人展を催されていました。

五人展というのに彫刻家、陶芸家など四人の名前しかありません。

もう一人の作品というのは和尚の法話だというのでした。

十一日に法話をなさって、明くる日にお亡くなりになったのでした。

和尚の法話が最後の作品でした。

法話を終えた後に一時病院に入られたそうですが、最後はお寺に帰って、坐禅をして亡くなったそうなのです。

西村和尚との出会いは、私が管長に就任して間もない頃に務めた布教師の方々の勉強会でした。

若手の布教師の方がほとんどでしたが、その中にいかにも枯淡で禅僧らしい風貌の和尚がいました。

それが西村和尚でありました。

二〇一七年の夏に一緒に愛媛に行って坂村真民記念館などに研修に行った折には、西村和尚も参加してくださっていました。

今から思えば、その年の暮れにガンが見つかったそうです。

二〇二〇年一月一二日に御遷化されたのでした。

一度お参りしなければと思いながら、今日まで来てしまいました。

コロナ禍の間は移動が難しく、そしてコロナ禍が終わると、いろんな行事に呼ばれてついつい今日に到ったのです。

姫路まで行くので是非ともと思い一泊して宝林寺を訪ねました。

西村和尚の奥様がいらっしゃって、ご丁寧に迎えてくれました。

寺では毎朝坐禅会を続けていてその会の方々も数名集まってくださいました。

本堂には大燈国師の立派な木像がお祀りされています。

まず本堂で大燈国師、そして西村和尚にお経をあげて回向しました。

それからみなさんとしばし歓談させてもらいました。

西村和尚が最期を迎えたお部屋にも案内してもらいました。

その部屋で最後坐禅してお亡くなりになったのでした。

部屋には久松真一先生の「無」の一字の額が掛けられていました。

京大で学ばれた和尚らしいと思いました。

いただいたお寺のパンフレットには次のように書かれていました。

「近世臨済宗中興の祖、白隠禅師が最も尊崇された禅僧でもある大燈国師の教えは、「興禅大燈国師遺誠」に凝集され、全国各地の臨済宗専門道場において修行僧達によって綿々と読誦され続けています。

その一節に、「無理会の処にむかって究め来たり究め去るべし」とあります。

「無理会」とは「理会」を超越した世界、理性的判断の届かない次元のこと。

分かったようで分からない、何となく騙された気になりそうですが、そうではありません。

私達が「オギャー」と生まれたその時、今日が何年何月何日かも知らず、ここが地球上のどこかも知らず、父親の年収の多少も知らず、母親の容姿の良し悪しも知らずに生まれて来たのです。

自分が男か女かも知らず、自分の体重も身長も血液型も知らず、それどころか自分が生まれたということさえ知らず、ひたすら「オギャー」。

私達は一人残らずこうして生まれて来た、そうです、「無理会」で生まれてきたのです。

そして、本当は今日も「無理会」で生きているはずなのですが、ややもすれば有りもしない自分を勝手にあると思い込んで、ああでもない、こうでもないと右往左往、道に迷うのです。

人間存在の原点である「オギャー」に返ること、それを国師は「無理会の処に向かって究め来たり究め去るべし」と仰言っておられるのではないでしょうか。

そして、朝起きたら顔を洗って「おはようさん」、仕事先では「こんにちは、今日もよろしく」、夕方になれば「お疲れさま」というふうに「無理会」が臨機応変、融通無礙に働いてゆくのです。」

という文章であります。

大燈国師の説かれた「無理会の処」というは、言葉で説明するのは難しいのですが、西村和尚はこのようにわかりやすく説いてくださっています。

一枚のパンフレットですが、寺の由緒だけでなく、禅の教えの核心も説いてくださっているのです。

拝見してやはりさすがだと思ったのでした。

いろんなひとがいるけれども 今日一日 やさしい心でいよう
いろんなことがあるけれども 今日一日 あかるい心でいよう
この道は遠いけれども 今日一日 一歩すすもう
何があっても大丈夫 今日一日 笑顔でいよう」

この和尚の四弘誓願は今もお寺で毎日お唱えしているそうなのです。

奥様もいろんなことがあったと察しますが、笑顔で迎えてくださいました。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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