第1495回「海老で鯛を釣る」2025/2/9
張超先生が来日なさっていて、私たちが行っている麟祥院の勉強会をのぞいてみたいというので、それでは、是非ともお話いただいたらどうでしょうかとご提案したのでした。
こちらは軽い気持ちでお願いしましたが、張超先生は、綿密な原稿を作ってくださり、素晴らしいご講演となりました。
もっとも張超先生は中国語でお話しになります。
それを小川先生が日本語訳をしてくださいます。
中国語のことはよく分かりませんが、聞いているだけで、実に流暢なリズムだと感じられました。
張超先生が、中国語で話し、そして小川先生が日本語訳と交互に講演が進みます。
聞いていて、私は禅が日本に伝わった草創期の鎌倉、建長寺や円覚寺ではこんな感じで講義が行われていたのだろうかと思いました。
大覚禅師も佛光国師もおそらく中国語でお話になり、それを中国語の分かるお坊さんが通訳してくださったのだと察します。
日本語に訳して聞けるだけでも有り難いのですが、なんとその日本語の文章もプリントにしてくださっていますので、とても理解がしやすかったのでした。
これには、どれだけ、準備がかかったのかと拝察しました。
本当に恐れ入りました。
九十分ちょうどのご講演でした。
宋代の禅についてお話くださったのですが、最後に、
「南宋末以後、禅は朝鮮・ベトナム・日本など東アジア周辺地域に伝播。各地の思想・文化に大きな影響。
さらに20世紀には、主に日本から「ZEN」という名で西洋にも伝播。
つとに唐代にも、禅はチベットや新羅・日本などに伝えられていたが、その後、ながく生命を保ち、現代もなお世界各地で活きた宗教伝統として実践されている禅の直接の淵源は、まぎれもなく宋代の禅。」
というまとめにはなるほどと思ったのでした。
そのあとが私の雑駁な講義となりました。
臨済録の
「ある日、師は僧堂の前で坐っていたが、黄檗がやってくるのを見ると、ぴたりと目を閉じた。
黄檗はぎょっとして居間に引きあげた。師は黄檗の後について居間に行き、その失礼を詫びた。黄檗は側に立っていた首座に言った、「この僧はまだ若いながら、その筋を心得ておるな。」首座は言った、「和尚は足が地に着いていないくせに、こんな若僧を印可なさるとは!」黄檗は自分の口を拳骨で一打ちした。首座「お分かりなら結構です。」(岩波文庫『臨済録』)
というところです。
簡単な話なのですが、いろいろ気になるところがあります。
僧堂の前で坐るとはどういうことなのか、なぜ目を閉じたのか、どうして黄檗は怖れる仕草をしたのか、なぜ臨済禅師はお詫びしたのか、なかなか難しいところです。
僧堂の前の「前」については、名詞の場所化という説明をしました。
これは張超先生や小川先生の勉強会で明らかになったことであります。
最新の説です。
なぜ目を閉じたのか、いろんな解釈があります。
『坐禅儀』には目を開けて坐るように書かれているのに、あえてその規則を破った、規則を破られたのを黄檗禅師が怖れたという解釈もあります。
山田無文老師のように睡ったふりをしたという解釈もあります。
私は、『天台小止観』に目を閉じて坐禅すると書いているので、これは不思議ではないと話しました。
いろいろ分からぬところが多いのですが、
結局は、「臨済が黄檗のもとで大悟して、この身このまままるごと仏であることを体得した。その堂々たるたたずまいに黄檗も大いに力量を認めた。」
ということだろうかと話をしました。
すると残り五分のところで、小川先生からご指摘をいただきました。
小川先生は、『天台小止観』の「目を閉じる」という記述に目をつけられて、目を閉じて心を澄ますような坐禅のことを揶揄しているのではないかとご指摘されました。
『碧巌録』に巌頭と雪峰の話があります。
第二十二則の評唱にあります。
「鰲山に至って、旅籠で雪に降りこめられ、巌頭は、毎日居眠りばかりしていたが、雪峰はひたすら坐禅した。
巌頭が叱った、「眠りたまえ。毎日、禅床にいるのは、いなかの土地神と同じだぞ。
将来、子どもたちを惑わすことになるぞ」。
雪峰は、胸を指さして言った、「わたしは、ここがまだ不安なのだ。自分を欺くことなどできるものか」。
巌頭「僕は、君が後に、聳え立つ山の頂上で草庵を結んで、仏教を宣揚するものとばかり思いこんでいたが、まだそんなことを言っているのか」。
雪峰「わたしは、本当に不安なのだ」。
巌頭「本当にそうなら、君の見解について、ひとつひとつ説いてみなさい。正しいところは、僕が君のために証明し、間違っているところは削り取ってあげよう」」
という問答であります。
毎日背筋を伸ばして、きちっと坐禅すると立派に見えます。
でもそんな心を澄ますような坐禅をしていては、「人家の男女を魔魅」することになるというのです。
臨済禅師が目を閉じて坐ったのは、あえて「好人家の男女を魔魅」する、子供達を惑わすことになるような坐禅をしてみせたという解釈であります。
私も一応、この解釈も候補に挙げてみたのですが、あまりにも恣意的すぎるので見送ったのでした。
「そこまでやるかな」という思いでありました。
しかし、小川先生のご指摘を受けて、この問答は黄檗禅師が来るのを見てわざと目を閉じるなど、はじめから恣意的なのです。
わざとやっているのです。
黄檗禅師のもとで、一所懸命に、後に批判の対象となるような「存心澄寂」、心を澄ませるという坐禅をしてみせて、他の修行僧達に、生きた禅はこんなところにはないことを示したのではないかと思ったのでした。
この小川先生のご指摘には実に目からうろこが落ちた思いでありました。
大乗寺の河野老師も讚歎されていました。
私の実に拙い講義が誘発剤となったようでした。
まさに是のごときをエビで鯛を釣るというのでしょうか。
有り難いご教示をいただきました。
語録の読み方は今も日進月歩なのだということをまのあたりにしました。
横田南嶺