第1333回「好き夢」

青山俊董老師が出家されたお寺、長野県塩尻の無量寺で第五十四回禅の集い 信濃結集が開催されました。

五年ぶりの開催です。

五年前に講師を務めて、今回二度目の講師を務めさせていただきました。

結集の二日目は、午前九時から私の講座でありました。

その日は午前と午後とで九十分ずつ二回の講座を務めました。

午前の講座を終えた後に、青山俊董老師の御講話でありました。

これは、もう今回ご参加の方々にとっては待ちに待った講話であります。

私もまた青山老師のお話を間近で拝聴できるというまたとない機会であります。

老師は、今回「好夢」という題でお話くださいました。

コロナ禍で、この無量寺禅の集いも休会している間、老師は脳梗塞や心筋梗塞、それにガンなどといくつもの大病をなされました。

どれひとつだけ罹患してもたいへんなことですが、それを皆経験なされたのでした。

そして今回も一週間前までご入院しておられたというのです。

そのご病気の話から始まりました。

ガンの治療でようやく退院してお寺に戻ったらしいのですが、その後遺症に苦しまれたそうです。

なんでも呼吸困難で、ずっと息が苦しかったらしいのです。

朝も夜も呼吸困難だったというのです。

呼吸は一分も止まったら終わりですから、苦しいことは察するにあまりあります。

聞いている方も、息が苦しくなるお話でした。

それでも退院して四日目に、ふと呼吸を忘れている自分に気づいたと仰せになっていました。

呼吸を忘れているということは呼吸していないのではありません。

忘れてちゃんと呼吸しているのです。

むしろ呼吸を意識している方が苦しかったりするのです。

そこで老師は禅語の「知らざる最も親し」という語を改めて学んだというのです。

知らざるというのは、意識、認識にのぼらないということです。

しかし、大事なことは、ふと忘れている状態であることに気がつくことでもあります。

そこで老師は、道元禅師の「不知最も親切、知もまた親切」というお言葉をお示しくださいました。

不知最も親切は、地蔵和尚と法眼禅師の問答になります。

地蔵和尚を訪ねた法眼禅師は、地蔵和尚から「どこに行くのか」と問われます。

「ブラブラと足のむくままに行脚します」と答えました。

すると「行脚の事如何」と問われます。

法眼禅師は、「知らず」と答えます。

そこで地蔵和尚が「不知最も親切」と言ったのです。

なにも知らないというのはもっとも真理に親しいのです。

呼吸でも今意識して呼吸している者はいません。

一分でも止まったら生きていませんが、その呼吸に毎度毎度いちいち感謝していたら疲れてどうしようもありません。

知らずに呼吸しているのです。

歯が痛いという意味のことをヨーロッパでは「歯を感じる」というそうです。

知らずに呼吸していることが尊いのですが、体の不調などを通じて、呼吸のすばらしい働きに気がつくことも大事なのです。

これが「不知最も親切、知もまた親切」と道元禅師は仰せになったのです。

不知に気がつくことがまた親切、気づくことも大事なのです。

「一輪のスミレのために地球がまわり、風が吹き、雨が降る」という言葉があります。

天理いっぱいのはたらきをいただいていることに気がつくのです。

あらゆる命あるもの、みんな天地いっぱいのはたらきをいただいているけれども、それに気がつくことができるのは人間だけなのだと老師は示しくださいました。

しかもその気づきは、自分の受け皿分しか受け止めることはできないのです。

老師は自身の修行が深まるほどに、まだまだ足りない自分に気がつくのだと仰いました。

受け皿のノビが欲しいというのです。

そこで老師は、自分はまだ仏法の入り口にいるので、とてもわかったとはいえないのだと仰せになりました。

青山老師からこのようなお言葉を拝聴すると、そのあと午後から私などは話しができなくなってしまいます。

同じように天地のはたらきで生かされて生きていると言っても老師の深さにはとてもとても及ぶものではないのです。

これもまた老師のお話を拝聴してこそ、自分の浅さに気がつくことができるのです。

「道窮まり無し」と老師はお示しでした。

いくら深まっても一層足りないことに気がついてゆくというのです。

老師は、良寛さんの

花 無心にして蝶を招き 
蝶 無心にして花を尋(たず)ぬ
花 開く時、蝶来り 
蝶 来る時、花開く
吾も亦人を知らず 
人も亦吾を知らず
知らずして帝則に従う

という詩をお示しくださいました。

この知らずして帝則に従うということを説いてくださいました。

知らずして天地のはたらきが営まれているのです。

そして好夢のお話です。

法華経の安楽行品の終わりにこの「好夢」がでてきます。

老師は、好夢の言葉のあとにお釈迦様の御一代が簡潔にまとめられていると仰せになりました。

「国王になったにもかかわらず、宮殿や臣下を捨て、最高の快楽をもたらす五つの欲望を捨て、悟りをめざして、菩提樹のもとの獅子座に坐り、悟りを求めること七日間。

ついに如来の智恵を獲得し、このうえなく正しい悟りに到達します。そして、起ち上がると、教えの輪を転じて、出家僧や尼僧や男女の在家修行者のために、説法します。

こうして千万億劫にわたり、汚れなき教えを説き、生きとし生けるものを数かぎりなく悟りへみちびいたのち、完全な涅槃に入ります。そのときのようすは、あたかも油が尽きて、燈明が消えるかのようでしょう。」

というところです。

現代語訳は春秋社『現代日本語訳 法華経』から正木晃先生にものを引用しました。

とくに老師は、お釈迦様は生後七日で母を亡くされていますが、その無常観が御出家の原因になっていると説かれました。

生後まもなく母が亡くなるというのは不幸なことです。

しかし、そのおかげで、お釈迦様は深い無常観を抱き、出家して道を求め真理に目覚められて仏法が説かれるようになったのです。

人生に起こることをすべて「好夢」、好き夢と受けとめて生きるのだと老師は説かれます。

そして最後に地蔵菩薩の真言についご教示くださいました。

お地蔵さまのご真言は、

オン・カカ・カビサンマエ・ソワカ

です。

その「カカ」というのは「笑い声」であり「カビサンマエイ」は「ほほえみ」だというのです。

いついかなるときでも微笑みを忘れない、どんなことも幸いと頂戴して微笑むのだと説いて法話を終えられました。

青山老師の微笑みは素晴らしいものです。

その日も演壇に登ってにっこり微笑まれただけで、会場が明るくなりました。

どれほどの修行を経ての微笑みなのか、まだまだ足りないと大いに自身を反省したのでした。

かくして午後は更に九十分話をしたのでした。

講座の最後に、この会こそ、出家も在家もみな青山老師のもとに集って法を聞く好夢の中だとお話し、法華経には「常に是の好夢あり」とありますように、各自家に帰っても常に好夢であって欲しいと申し上げたのでした。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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