第1352回「また「菩薩」に会えた」

大久保寬司さんのご縁で、坪崎美佐緒さんを紹介していただいて、先日円覚寺で講座を開いてもらったのでした。

そのときの感動は、「「菩薩」が現れた」と題して書いています。

大久保さんからは、もうひとり同じ菩薩がいるのだとうかがいました。

坪崎さんは北海道なので、北の菩薩で、もうひとかたは「関西の菩薩」なのだそうです。

そういう方に会うことは貴重なことであります。

書物から勉強することも大事ですが、その人に出会って学ぶことも大事なことであります。

人と会うご縁は大事にしたい、会っておきたいと思う人には、できるだけ会っておこうとこの頃強く思っています。

そんな次第で、このもう一人の菩薩にお目にかかれる機会がないかと願っていました。

すると、実に早くこのもう一人の菩薩にお目にかかることができました。

お名前は清水喜子さんと言います。

十八歳から四十一年間、市役所に勤めていて、二年早く退職されたという方です。

坪崎さんのようにコーチングやマナー講師などをなさっているわけではありません。

また著書があるわけでもありません。

お話をうかがうと、大阪市で、来庁者への窓口サービス向上のために、橋本市長時代に覆面調査が行われ、二十四区のなかで評価が最下位だった区役所におられたそうです。

それが1年後には二十四区の中でもトップになるようになったのでした。

いろんなメディアからも厳しい報道が行われる中で、できてないところを責めるより、できているところに光をあてて感謝する研修から、職員一人一人の努力とチーム力で窓口サービスが改善されたそうなのです。

しかも在職中、ずっと継続することを成し遂げた方です。

そんな業績を聞くだけで、すごい方と想像しますが、今回いろいろお話をうかがって、この清水さんにとっては、一人一人に真摯に向き合って対応されてきただけなのだろうと感じました。

それが結果として役場の業績につながっただけなのだと思いました。

毎日、クレームが来るようなところにいらっしゃったそうなのです。

職員の対応に対してクレームが来るそうです。

清水さんは十五年もその対応をなさっていたのでした。

一日に何件も苦情がきて、職員も状況によっては警察を呼ぶこともあるというのです。

窓口で怒りを爆発させ、それでもおさまらないので上司が対応しても、なお一層怒りが大きくなってしまうこともあります。

そして最後に清水さんが対応なさるのです。

その結果は、穏やかになられてお帰りになるというのです。

クレームの対応などは、誰しもやりたくないと思います。

それでも清水さんは、そのような方が「来てくれた」と仰います。

職員の対応が、その人の大切にしているものを傷つけてしまったり悲しい気持ちにさせたことが申し訳ないと思うのだそうです。

たとえば親に十分な介護のサービスを受けさせたいという希望と、実際には思うとおりにならなかった現実との開きがあったときに、悲しみに寄り添ってもらえないと感じ怒りになるというのです。

本当は怒りたくないのに怒らせてしまったのだと。

その人に悲しい思いをさせたから怒りになってしまったというのであります。

それは、ひとえに対応する側に愛が足りていなかったのだと清水さんは語ってくれました。

この愛が足りないというときに、「愛」という言葉に込める思いが伝わってくるのです。

応対する職員もたいへんです。

窓口には行列が出来ます。

多くの人が並んでいると、早く終えないとと思います。

その人に対応しながらも、その次の人に意識が向きますと、その人は自分が大切にされていないと感じて怒りになります。

怒っている人の対応は難しいと察します。

目の前には、怒りが最高潮に達して、怖い顔をして大きな声をあげているのです。

しかし清水さんは、その怖い顔や大きな声には反応しないのです。

私自身は透明で、その大きな声などもみな後ろに流れてしまうのだというのです。

そして清水さんは、その人の中にある、生まれたままの心、幸せになるために生まれてきた素晴らしい姿を感じるのだそうです。

見えるのだそうです。

その姿を想像するのではなくて、あるのだそうです。

その人の本来持って生まれた赤ちゃんの心を感じながら話を聞くといいます。

どこかでつらい思いをして、それが誰にも分かってもらえないので、深い悲しみを抱いているのを感じるのだそうです。

生まれたての赤ちゃんのような光耀く姿を感じると言います。

どんな人にも必ずあると言われていました。

たしかにその通りでしょう。

そして清水さんは、目の前に怒りに燃える人がいても、生まれたての赤ちゃんの人がいると感じられるというのです。

仕事柄からだは対面していますが、心はその人の隣に座って寄り添って、同じ絵を見るような気持ちだそうです。

こんな悲しい思いをしたのか、つらかったろうとその人と同じ悲しみを味わうのです。
つらい気持ちを一緒に感じられたときに、その人の怒りが溶けるのだと仰っていました。

それが怒りのエネルギーが変わる瞬間なのだというのです。

そうするとどんな人も優しい顔になるのです。

赤ちゃんのままの優しい心が現れたのです。

その人は思わず優しい言葉を出し、優しい表情になっているというのです。

そしてその人が一番驚くのだそうです。

荒々しい言葉を発していたのが、優しい言葉を発するようになるのです。

人は、たった一人でも自分の気持ちを分かってくれたと感じたときに変わるというのです。

そこで清水さんはその人のことを分かろうとして一所懸命になって聞くのです。

その気持ちが相手に伝わるのだと仰っていました。

外からみた姿はどんなに怒っていても清水さんには、心が泣いていると見えるのだそうです。

どうしてそうなってしまったのか、寄り添って聞くのです。

その人の中に身を置いて感じるのだと仰っていました。

その人のつらさを一緒に味わうそうです。

しかし、二人とも落ちてしまったらどうにもならないので、その人の悲しみを味わったら、その瞬間に戻ってくるのだと仰っていました。

このあたりが菩薩のはたらきです。

どうしたら、その人がよりよく幸せに生きられるのかを考えるのです。

どうしたら自分自身の力で一歩踏み出すことができるのかを考えるのです。

こんなにつらかった、苦しかったんだと感じたら、そこから離れてその人がどうしたら幸せになるかを考えるという、これはまさに「菩薩」の慈悲であります。

相手に寄り添って一つになりながら、一つにはなりきらずに二つに分かれて考える、それを行ったり来たりするのだと仰っていました。

この一つであって二つ、二つであって一つというところが極意だと思いました。

二にして一、一にして二ということを禅の語録でも繰り返し説いているのです。

そんな対応をずっとなさっていたのだそうです。

心を込めてひとことひとことかみしめるように語られるお姿はまさに菩薩に見えたのでした。

質疑応答を含めて二時間を予定していたのでしたが、修行僧たちの質問も多く、一時間超過して三時間もお世話になったのでした。

また「菩薩」にめぐり会えたのでした。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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