第1490回「はたらく禅僧」2025/2/4

先日の湯島の麟祥院での勉強会で、小川先生のご講義に引き続いて、私が『臨済録』の一節を読みました。

臨済禅師が黄檗禅師のもとで修行していた頃の話です。

「普請」といって、皆で共同で作業をしていました。

「地を鋤く」と書いていますので、畑を耕していたのです。

みんなで鍬を持って畑を耕していたところに、黄檗禅師がお見えになりました。

普通であれば、老師がお見えになったとなると、より一層気合いを入れてはたらくところでしょうが、臨済禅師は、鍬を杖にしてただ立っていたのでした。

それをご覧になった黄檗禅師は、「疲れたのか」と問います。

臨済禅師は、「鍬も振り上げていないのになにに疲れましょうか」と答えました。

だったらしっかりはたらけと言わんばかりに、黄檗禅師は臨済禅師を棒で打ちました。

杖のようにして棒をもっていたのでしょう。

すると臨済禅師は、その棒を受け止めて、黄檗禅師を押し返しました。

受け止めてと訳したところの原文は、「棒を接住して」となっています。

「接」は迎えるという意味があります。

接は受けるのであり、住はそのままとどめることですので、受け止めるになります。

押し倒された黄檗禅師は、維那を呼びました。

維那は、お寺の事務や綱紀を取り締まる係の僧です。

維那よ、「私を助けおこしてくれ」と頼んでした。

維那は黄檗禅師をおこして、「この無礼な者を許しておけましょうか」と言います。

すると黄檗禅師は、なんとその維那を棒で打ったのでした。

その様子を見ていた臨済禅師は鍬を入れながら、「世間では火葬にするが、私のところではいっぺんに生き埋めだ」と言いました。

こんな問答です。

普通ならお師匠さんを押し倒した臨済禅師が打たれてしかるべきなのです。

それがなんと助けおこした維那を打ったのですから、維那にしてみればたまったものではありません。

こんな問答を後に仰山禅師は、

「正賊走却して、邏蹤の人棒を喫す。」と評しました。

「張本人の賊は逃げ切って、捕り手が罰棒を食らった」というのです。

張本人の泥棒というのは臨済禅師のことですし、捕り手は維那をさしています。

この問答について、後に、首山禅師のお弟子の智嵩というお方が、興味深い言葉で表しています。

それが、
「正狗油を偸すまず、雞燈盞を啣んで走る」というのです。

犬が油を盗んだのではない、鷄が灯盞を口でくわえて走っていったという意味です。

これは察するに、油を盗んだのは鷄なのでしょう。

鷄は灯盞をくわえて逃げてしまい、油を盗んでいない犬がとがめられたということかと察します。

なにか中国のことわざか故事でもあるのかと思って、調べてみても分からず、小川隆先生に伺ってみても、どうも見当たらないというのです。

それでも禅の語録には何カ所かで出てくる言葉です。

かつて佛光国師の語録を講義していたときにもこの言葉が出てきました。

円覚寺に伝わる手沢本には、この言葉は、「正賊走却して、邏蹤の人棒を喫す。」と同じだと註釈されています。

この問答はすでに悟りを開いた臨済禅師の境涯を表しているのです。

畑を耕して労働することが禅寺で行われたことをよく表している話でもあります。

百丈禅師の頃からと言われていますが、大地を耕すという農耕をするようになったのが禅の特徴でもあります。

もともと仏教では、土を耕すことは禁じられていました。

土の中には虫などがいるからであります。

托鉢していただくもので暮らしたのでした。

おそらく、中国で禅の修行をする者の集まりが増えていったのだと思いますが、とても托鉢ではまかないきれず、また中国にはインドのような習慣もないので、やむを得ず開墾するようになったのだと察します。

しかし、禅ではあらゆる営みは皆仏の行いであるという教えですから、この作務労働を、必要悪としてやるのではなく、積極的に意味を持たせるようになってゆきました。

この作務は、あらゆる営みが仏の行いだという禅の教えを具現化したものだとも言えます。

そしてよくはたらくことは禅僧の美徳とされて、それが世間からも称賛されるようになりました。

高齢になっても作務に励んでいた百丈禅師のことを「一日作さざれば一日食らわず」と称えられているのです。

日本の禅では鈴木正三のようにはたらくことが禅の修行そのものだと、勤労を貴ぶ教えになっています。

それが今の日本の禅の特徴でもあります。

しかし、どんなことでも光と影があるものです。

問題点もあろうかと思います。

それはまずお釈迦様の教義を否定したことであります。

お釈迦様がやってはいけないというのを否定したのです。

もっとも臨済禅師は、仏に逢うては仏を殺しというくらいですので、仏をも超えている精神とも言えるのでしょうが、これはやはり問題であります。

それは殺生の容認ともなっています。

実際に百丈禅師は、心が虚空のように一切のとらわれが無ければ罪にならないと述べています。

それから自給自足の暮らしをするようになったので、自立できたという利点もありますが、教団の教えが世間よりもすぐれたものだという意識を増長してしまうことにつながっているようにも感じます。

自給自足の尊い暮らしをしているというのが傲りにつながることもあり得るのです。

畑を耕して暮らす、はたらく禅僧というのは、禅の美徳でありますが、後に様々な問題も残したのであります。

そんなことを講義で話をしたのでした。
 
 
横田南嶺

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