毎日読書メモ(206)父の本棚
2022年になりました。本年もよろしくお願い申し上げます。
昨年の大きなトピックの一つは父が亡くなったことだった。コロナ禍以降、実家に行くことを拒否され、少し緩和していた時期に3回だけ実家に行ったが、最後に父に会ったのが昨年の3月。6月中旬に急に体調を崩し、救急車を呼んでいる間に亡くなったので、尾辻克彦じゃないけど「父が消えた」って感じ。いや、尾辻克彦『父が消えた』も数十年ぶりに再読してみたが、あの父の方が消えるまでのためがあったように感じた。
で、父が亡くなった日からいきなり実家に泊まり込み(自宅から2時間くらい離れているので、通うのが大変で)、職場の許可をとって、実家で在宅勤務をしながら、母の話し相手をしたり、父の所持品の整理をしたり、役所や銀行に行ったりしていた。
合間に父の本棚の整理。わたしもよく本を買う人間だと思うが、父の方がおかしい。あきらかに読める限度を超過した本を、亡くなる直前まで買い続けていた。家中にあふれる本を前に途方に暮れる。しかも、本を読みながら、マジックやマーカーで線を引くという悪癖があり、カラフルな線が引きまくられた本も多数。これじゃブックオフにも売れないよ…。
自分も興味のある本を少し読んだりしたが、そんなん100冊に1冊あるかないか位。
新聞の切り抜きも趣味にしていて、父が見た後の新聞は重さが半分くらいになっている位ずたずたに切り抜かれ(表裏両方に興味がある記事が出ていた時は駅前のコンビニにコピーを取りに行って保管しているほどだった)、本棚の前にまずは部屋中にあふれた細切れの新聞(ホチキスで留められていたり、クリップで留めてあったり、クリアポケットやクリアファイルに入れてあったり、ビニール袋に入れられていたり、スクラップ帳に貼ってあったり)を片付けなくてはならず、君は本当にそんなことに興味があったのか!、と肩をつかんでゆすって問いただしたい位色んなテーマの記事が家中に点在していて、その合間に自分が死んだらこうしてほしいああしてほしい、という書付が何枚もはさまっていたりして(たぶん1年に何回とかそういう気分になったときに雑紙に書きつけて、それが新聞紙の間にまぎれていたようだ)、紙くずの処分をしながら、少しずつ父を悼んで夏を送った気がしている。
新聞記事の片付け(というかもう捨てるしかないのだが)が少し落ち着いたところで、本の整理。というか、状態が悲惨でない(=傍線などを引いていない)本を、値段がつきそうならネットで売る、というちまちました作業。線引いてある本は思い切って古紙回収に出すしかないのかなぁ。専門性の高そうな本は、そのうち神保町の古書店にでも相談しようと思いつつ、今はまだ決断がつかないでいる。
エリナー・ファージョン『ムギと王さま』(石井桃子訳・岩波少年文庫)は原題が”The Little Bookroom”といって、家中に本があふれている家で育ったエリナー・ファージョンが、どの部屋からもはじき出されたノンジャンルの本が流れ込んでいる本の小部屋で見つけた物語たちを自分のことばで語る、という趣向の本だが、家中にあふれた父の蔵書を一覧していると、どこの部屋もLittle Bookroomになっているような気持ちになってくる。そこにはどんな物語があるのか。
たぶん、何年かかけて、少しずつ片付けていくことが、わたしにとっての喪の儀式になるんだろうなぁ、と、死に目にあえなかった娘はぼんやり考えつつ、新たな年を迎えたのであった。
引き続き、父の本棚の本もたまに読みながら、読書記録をつけていこうと思います。
父の本棚シリーズ
『東洋の至宝を世界に売った美術商: ハウス・オブ・ヤマナカ』
『妻のトリセツ』『娘のトリセツ』
『オーストリア滞在記』
『下流老人-一億総老後崩壊の衝撃』
『THIS IS JAPAN :英国保育士が見た日本』
『愛ふたたび』
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