えちご・くびき野100kmマラソン、DNF
第15回えちご・くびき野100kmマラソン、2024年10月13日(日)開催。
2年おき開催のえちご・くびき野、一昨年は60kmの部に参加したが、エイドの充実度が比較にならないので、次は100km走るぞ、と、春先に、まず高田のホテルを押さえ、満を持して、エントリー初日に100kmの部にエントリー。ぼちぼち長距離練習をするかな、と思っていた4月に、ランニング中に転倒して右手首骨折、その後約2ヶ月ランオフしてしまう。
転倒したのはたぶん、足が上がってなくて、躓きやすいからだな、と思うが、走ってない間に身体が更に衰え、ちょっとの距離走るだけでもコテコテとけつまづく生活続く。一度に走れる距離も5キロ行かないくらい。そして猛暑。頭の中にはいつもえちご・くびき野のことがあったが、あっても全然走れない。ランニングを始めて約17年、あまたの大会に出てきたが、これまでDNF(do not finish、出走したのに完走しないこと)ってやったことがなかった。今回は初DNFだな、と覚悟し、でも、運命にむざむざ従っているわけにはいかないので、ようやく涼しくなってきた9月末から付け焼刃で走る。9月29日に都内で、えちごくびき野練するという知り合いに引っ張ってもらって30㎞走、10月6日に自宅のそばで35㎞自主練。
とりあえず、一昨年走った60㎞は超える距離までいかなくては。
えちご・くびき野の100㎞は2014年に完走している。ウルトラマラソンを始めた最初の年だったが、当時の制限時間13時間30分で(多くの大会は14時間)ビビッて結構練習して、結果、12時間02分で完走している。コース途中に険しい坂が5か所あり、そこは無理せず歩いて登り、あとは全部走ったのだが、これは、わたしの100㎞マラソンの歴代2位の記録である。
現在のえちご・くびき野100㎞は、制限時間14時間のA、13時間半のB、13時間のC、12時間半のDというウェーブスタートになっていて、エントリー時に自分で選ぶのだが、怪我する前にエントリーしちゃっていたので、10年前と一緒で大丈夫でしょ、と思ってBでエントリーしてしまったのである。結果論的に、Aにしていたとしても完走は無理だったと思うので、いいんだけど、Aだったら、最終関門は越えられていただろうなー、くよくよ(くよくよしても仕方ない)。
10月13日(日)3時起床、4時に高田駅を出るシャトルバスで謙信公武道館という新しい施設へ。今年からこの謙信公武道館がスタート及びゴール地点となり(昨年まではリージョンプラザ発、ユートピアくびき希望館がゴールで、最初と最後のコース配置がかなり変わった。中間部は大きな変更はないが、全体に山間部が前半に寄って、後半は平坦なところを走る感じに)、大荷物はそのまま謙信公武道館に置いていていただき、あわせて、52.2km地点と76キロ地点のエイドに置かれるドロップバッグも預ける。
支度していると4:30にAブロックの人がスタートしていった。まだ真っ暗。しかし思ったより寒くない。武道館内のウォシュレット付きトイレも使え、おにぎりなど食べて、万全の状態でスタートゲートへ。5:00スタート。
沿道で、大会車両がライトをつけてくれたり、ヘッデンをつけている方が照らす足元を眺めたりして、自分はライトなしで走ったが、ちょっと怖い。もし2年後に14時間制限で走るのであればライトを持っていこうと決意。とはいえ、すこしずつ闇が薄れ、あたりがはっきり見えてくるようになり、5時半ころには田園風景の向こうの山の稜線が赤く輝き始め、実に美しい。周囲の人が止まらず真剣に走っているので、写真を撮りそびれたが、あの朝焼けを見られただけでも走りに行った価値はあったな(負け惜しみか?)。
最初の20キロは、エイドで立ち止まったりしても、キロ6分ちょっとで走れていて、意外と自分元気じゃん、と思う。
前のコースより山間部に入るのが早め。平地にいるうちにAブロックの最後尾の人を少しずつ抜き始めるが、坂に入ったら早くもCの速い人に追い抜かれ始め、本格坂に入った時には歩いて坂を登る脇を、Dのめっちゃ速い人が走って登っていくのを指をくわえて眺めることに。
平地にいるうちから、エイドは充実しすぎ。
9.3㎞ 板倉区の豊原小学校。
続けて14.5㎞清里中学校。
清里区から牧区に向かう。少しずつ上り坂になってきて、既に息切れ。
結構急な坂を少し登ったところが20.5km牧区総合事務所。
そして最初の坂。CやDの人が走って上がっていくのをほぼ歩きで付いて行く感じ。
最初の山をほぼ下った25.6㎞地点、川上笑学館で甘酒をいただく。
そして2つ目の坂を登り、安塚区に入り、下ったところが第1関門でもある31.7㎞ 安塚B&G海洋センター(前はこの辺が中間地点でドロップバッグもここにあったと記憶している)。
3つ目の坂を登って、峠で大島区に入る。そして坂を走り下っているときに左足首に違和感。捻挫するような着地はしていないのに、嫌な感じの痛み。
39.3㎞ 第2関門でもある大島生活改善センター。ゆるキャラと写真を撮る。
4つ目の坂の途中で42.195㎞地点通過。タイムは5時間15分位。かなり速度落ちている。しかし無理をしたら足首によくないので、下りでも飛ばせなくなる。4つ目の坂のてっぺんで、安塚区に戻る。高度低めの5つ目の坂をとぼとぼ上り、とぼとぼ下ってくるとほくほく線が見えてきた。虫川大杉駅付近。50㎞地点でEPSONのリスタブルGPSでタイムを見ようとしたら、電池切れサインが出ている…10年以上前の機種なので、もう50キロももたないのか(泣)。ほぼ平地なのに、走れず、線路と並行した道をとぼとぼ歩いていくと52.2km浦川原総合事務所のレストエイド。時計面はもう電池切れのサインが出ていたが、実はまだ駆動はしていたようで、帰宅後にデータをとってみたら、52キロ6時間09分くらいのタイムだった。
一昨年より明らかに気温が高く、天気もずっといいので、ドロップバッグに入れておいたシャツに着替えることに。朝の防寒と、物を入れる機能もかねて着ていたランニングリュックも脱ぎ、ドロップバッグに。リスタブルGPSももういらないよね、とドロップバッグへ。
浦川原区から吉川区へ。最後の上り下り。足首の痛みはおさまったが、でもあまり走れていない。62.4㎞の吉川区総合事務所のエイドでトイレへ。トイレを出たところで、いったん抜かしていた友達が追い付いてきて先行していくのを見送る。
この辺、もう田園地帯+人が住んでいる地域になってきて、道沿いに建物が合って、日影が出来ているとほっとする。ちょっと向かい風が吹いてきて、少しは走ろうと思う気持ちがまた萎える。もうここまで来たらクマは出ないだろう、とクマ鈴をはずし、タオルに巻いてポケットへ。
吉川区から柿崎区に入る。日本海沿いまで来た。69㎞柿崎区総合事務所。
海に出てから、ドロップバッグのある大潟老人福祉センターまでの距離が長い…住宅地の中だが、結構アップダウンがあり、よれよれ。
76km大潟老人福祉センター。
この直後の曲がり角に、次の関門(保倉小学校、86.5㎞地点)の関門が16:50、と書かれた看板があった。えーと、6.5㎞先の関門まであと25分ないってことですね。
10年前にはビクトリーロードだった、ユートピアくびき希望館に向かう、田んぼの中の一本道を、最後だし、と思って、力を振り絞って走る。昨年前のゴールだったユートピアくびき希望館が、わたしにとっては今年もゴールだよ...。
90.3㎞地点、上広田公民館のあおさ味噌汁ともちっとまんじゅうを食べられなかったのが無念である<そこ?
ユートピアくびき希望館で40分位待って、バスで謙信公武道館に送られる。18時くらいだったので、最後30分間、ゴールしてくる人を眺める。勿論悔しいが、練習不足だったのは自分だから。
そして謙信公武道館でもひたすら食べる。
嗚呼、もっと強く楽しく走りたいなぁ、と改めて思う。
今回の大会テーマは「まだ見ぬ景色を探しに行こう!!」だったのだが、10年前とは違う景色を色々見られたのは確かで、これを更に2年後に上書きしたいな、と、強く思った
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