宮本輝『野の春』(新潮社)
とうとう、とうとう、「流転の海」シリーズ完結。
1作目『流転の海』が雑誌「海燕」に連載されていたのが1982年から1984年。1984年に福武書店から刊行されたようだが、わたしが手に取ったのは1990年の新潮文庫版(その後単行本も新潮社に移動)、その頃には「流転の海」シリーズは全5巻で宮本輝の父をモデルとした松坂熊吾の人生を描く予定だった。1992年に単行本が出た『地の星』からはリアルタイムで新刊を追い続けてきたが、そこからでも27年近い。『地の星』で愛媛に行き、『血脈の血』で大阪に戻る。『天の夜曲』では富山に行き、『花の回廊』では大阪と尼崎の蘭月アパート。まだまだ我らが松坂熊吾が死ぬ気配は全くない。この物語は一体何巻まで続くのか、そもそも、作者が生きているうちに完結出来るのか?(『野の春』のあとがきで、宮本輝自身が「たくさんの読者が第一巻から読みつづけてくれている長い長い小説を完結させないまま、私が病気で倒れたりしたら、申し訳ないでは済まないのだ」と語っている) 『天の夜曲』の後半で松坂一家は大阪・福島のモータープールに移り、『慈雨の音』、『満月の道』、『長流の畔』、そして最終巻『野の春』まで、一家の生活ベースはモータープールにあり続けたが、その間にあまりに沢山の人間が、あまりに様々な背景を背負い、過去の色々な瞬間から立ち現われ、新たな人間関係を築き、また一時退場していき、登場人物一覧(相関図)付きでも脇に置いておかないと、誰が誰だったか、いつの時代に熊吾とどう絡んだのだったか、全然思い出せないまま読み進めることになる始末。単行本刊行年が、1984-1992-1996-2002-2007-2011-2014-2016-2018年。最後はアッチェルランドがかかった。そして、7巻あたりで、物語は全9巻となることが内定し、松坂熊吾の死をもって物語が終わることも明示された。
熊吾の人徳、逆に人に愛想をつかされる面。妻房江の人徳、逆に弱さ。息子伸仁のたよりなさ、逆にしたたかさ。誰も圧倒的な人格者ではなく、弱さとか憎まれる面とかを持ち、お互いに足を掬いあうようになり、その数奇な一生の中で、多くの果実も得、逆に激しい裏切りで失ったものも多い。最後まで生活のためにあくせく生きることになる生涯を、熊吾自身、想像だにしていなかったと思うし、小説の中で語られた熊吾の最期が、事実に基づくものであるとすれば、それは本当になんとすさまじい人生であったのだろうと思う。
花の絵の美しい装丁の本だが、物語は、最初から暗い翳をまといながら進む。何人もの親しい人たちが逝き、熊吾自身も、自分の老化を強く意識しながら日々を送る。それでも、自分が50歳の時に生まれた息子伸仁が20歳になるまで生きたいという願いがかなったことを、熊吾も房江も喜び、感謝する。大学生になった伸仁の生活は、『青が散る』とオーバーラップするようになってきて、まるで伸仁が若い時代の石黒賢みたいに見えてくるではないか。死期をさとった熊吾が事業をたたみ、誰にも迷惑をかけないように一線から退く過程で倒れると、そこには驚くほど何も残っていない。房江も伸仁も働きづめで、熊吾の介護も長年の愛人が担う始末だ。熊吾の物語だから、小説の枠組みの中で落とし前のついていない登場人物が沢山いる。妻子に語り尽くせなかった過去も沢山ある。気になりつつも、もう物語をこれ以上引き延ばすことは出来ない。読んでいるこちらまで、残っているページ数を目視確認しながら、心の準備をする。
いまわのきわの熊吾はもう何も語らない。房江の視点で、熊吾の逝去が語られる。そして、人生の舞台から去っていった熊吾を最後に送ってくれた人々への房江の強い感情がほとばしり出て、本当に、この37年間かけて71歳で亡くなった男の人生を描いた物語が終わった。哀しくもあり、また、読者として見届けられたことへの安堵もあった。この長い物語には教訓はない。ただ、多くを得、多くを喪った人間の豊饒な生き方が提示されただけだが、それを追い続けられたことは大きな幸せだった。
(文庫版のリンクを貼っておきます)
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