ゼッケン67 ふたたび
本日(2021/4/9)の朝日新聞東京版夕刊のトップ記事は「『ゼッケン67』祖父がくれた諦めない心」だった(ここで全文読めます)。
1964年東京オリンピックの陸上10000mで、3周遅れの最下位でゴールしたセイロン(当時名)のカルナナンダ選手の物語は国語の教科書にも載り、多くの日本人に知られているが、そのカルナナンダ選手の孫娘が日本に来て頑張っている、という話は、2年前の毎日新聞の記事になっており、その際にわたしはnoteに「ゼッケン67」という文章を書いた。
2019年1月の毎日新聞の記事掲載時には、前橋の専門学校で日本語を学んだ後介護の専門学校に通っていたオーシャさん(今回の朝日新聞の記事ではオーシャディーさんという表記になっている)は、介護福祉士の資格を取り、群馬県内の特別養護老人ホームで働いている。専門学校で知り合った介護福祉士の男性と結婚し、将来的には介護福祉士という職業のない母国にも日本の介護のノウハウを伝えられる人になりたい、と考えている、というのが記事の骨子だ。
1974年に亡くなった祖父と顔を合わせてはいないオーシャディーさんに、祖父の成し遂げたことを教えてくれた母を、いつか東京に連れてきて、祖父の足跡を一緒に辿りたい。来日当初、日本語がなかなか上達せず、将来への希望が持てず挫折しかけていたオーシャディーさんに「負けてもいいから、何かを始めたのなら、最後まであきらめないで」と祖父の言葉を教えてくれた母のエピソードは、2年前の記事でも紹介されていたが、祖父が走る様子を収めた動画を見て自らを奮い立たせ、着実に歩を進めている様子が心に浸みる。
「ゼッケン67」は光村図書の国語の教科書に1971年と1974年の2回掲載されたそうだ。わたしはその1974年の国語の教科書で学んで、ずっと忘れられないでいたのだが、前後の学年の人がカルナナンダ選手の物語を教科書で学んでいない、ということは前回の記事をきっかけに自分の文章をまとめるまでは知らなかった。そして、今回の記事で、"The Runner Wearing Number 67"という文章が現在の光村図書の中3の英語の教科書に掲載されていることを知った(というか光村は国語以外の教科書も作っているのね、という小さな驚き)。
小さなエピソードが、57年たった今でもこうして語り継がれる。そして、それを道しるべにたゆみなく歩む人がいる。
わたしに出来ることは「忘れない」ことくらいだけれど、荒野に点々と灯をともすように、つないでいこうと思ったりする。
(画像は朝日新聞のネット記事の写真を一部切り取って使用しています)
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