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エッセイ:どっきり体験集(1)~(10) 2.民間交流てんまつ記

 30代半ばは、倉敷の母の介護のために、年に数回は、東京から新幹線に乗っていた。ある時、車内混雑で通路に立っていると、窓辺の席のアメリカ人らしき老人が、私に彼の席にすわれというしぐさをし、さっさと通路に出て来た。

 有難くすわらせて頂いたが、隣席の夫人の、怒りのオーラのすごさ! せっかくの席を、若い女にゆずるとは何よ、と腹の中でわめいているのが聞こえるようだった。

 おとなしく本を読んでいると、夫人がぐっと身を寄せてきた。その視線は、窓外の山の姿に釘づけだった。三島駅を通過している。

「あれが有名な富士山です」 と思わず英語で言うと、夫人はオー、と目を見張り、しばらく身を乗り出して、見つめ続けていた。

 それからだ。夫人は私をガイドに採用、と決めたらしく、周囲に見えるナゾを次つぎと質問してきた。マンションの窓に干されている衣類やフトン、あんなにたくさん、あれは何?

「太陽の光と熱を利用して、どの家でも干しているんです」 と言うと、さげすむ表情になった。アメリカでは、どの家も乾燥機を使う。夜でも雨天でも使えるし、働く女性には便利だし、だいたい下着やフトンを、他人の目にさらすなんて、と非難の口ぶりだった。(アメリカ中の家庭で、乾燥機を止めて外干しすれば、ものすごい省エネになると、言い返せばよかったと、帰京してから後悔した) 

 列車が静岡平野にさしかかると、夫人はまた窓の外を指差した。あれは何? ちょうど稲刈りが終った頃で、結わえた稲束が竹ざおにずらりと掛けられ、干されていた。

「お米です」と答えたとたん、夫人はぬっと立ち上がり、通路の夫君を呼びたてた。

「ヘイ、ジョージ、米は水の中にできるなんて、うそ言って! あれ見て! 空中にあるじゃない!」

 仕方なくジョージ夫妻を相手に、米栽培の一部始終を説明するはめになった。さいわい、倉敷の町はずれの農村地帯に、北朝鮮から引揚げていらい、高校1年まで10年間いたので、苗は水田に植え、7月末には、土用の水抜きをすることは知っていた。話し終えると、ジョージ氏は納得して離れて行ったが、この奥さんとの会話を避けたいのかも、と勘ぐってしまった。

 その後も、夫人に色々問われた中で、何より手こずった難問があった。「税金をいくら払っているか、教えて」と言われたのだ。家計簿は結婚以来つけていたが、子ども3人と義母、義姉と計7名の家族の上に、時間講師にせよ、勤めもありで、多忙を極めていて、一度も合計を出したことはなかったのだ。

 夫人は真剣な顔で答えを待っている。〈日本の主婦代表〉にされたようで、なんとしても答えを出さなくてはならない、と思ってしまったのが、運の尽きだった。

 紙を取り出し、所得税、都市市民税、土地資産税、家屋資産税、健康保険税、車両税、それに、桧原村の山小屋の村民税と土地資産税・・。その上、私の非常勤講師分の税金もある。当時はまだ消費税と介護保険税はなかったものの、なんと多種の税金があるんだろう!

 こんな額だったかな? どの項目も数字をちゃんと覚えているはずはなく、あやふやな数字を並べ、足し合わせ、ドルに直さなくては! ええい、めんどくさい! 今このくらいだっけ? と、見当値で換算、ある数字が出た。

 のぞいていた夫人がその数字を見るや、またもや「ヘーイ、ジョージ!」足早に近づく彼に、きっぱりと言った。「日本へ引越ししましょ。日本は税金天国よ!」

 ぎゃあ、計算違いした、と直感した。何が税金天国なものか!どこを間違えたかと、メモを順に見直していると、まもなく京都です、とアナウンス!
 夫妻はあわただしく下車の用意を始めた。夫人は私に握手を求め、笑顔を残して去って行った。私は計算違いの、半煮え状態のまま、取り残されてしまった。

 帰京するとすぐ計算にとりかかり、家計簿を確かめてみた。なんと5分の1の数字を伝えていた! あーあ、無念! 取り返しがつかない。

 あの人は、デパートをいくつか持つという、資産家夫人なのだ。今ごろティパーティを開いて、私の話を持ち出し、教員だから信じられる話よ、とか言ってるはず・・。

 曖昧なことは、わかりませんで通すべきだった。 Honesty is the best policy:  正直は最良の策、なのだから。

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