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エッセイ:どっきり体験集 (1)~(10) 3.自転車名人

  名人と言ったって、ただ両手離しができる、というだけのことだが、姉妹の中で特別運動音痴だった私としては、ただひとつの特技と言えた。

 姉は高校時代、体操部代表選手として、県大会に出場していた。2歳下の妹は、逆立ちをしたまま、坂道を自在に移動し、片手をはずしても、くずれず立ち続け、8段のとび箱をいとも軽々ととぶのに、私は4段さえ一度もとべたことがない。

 夏のある日、村のゆるい坂道を自転車で走っていると、前方に黒っぽい細長いものが、道幅いっぱいに見えた。なわかな、とそのまま近づいてみると、ヘビだ!

 ひゃあ、と髪の毛と両手が上がってしまって、グニュと手ごたえが・・。ヘビを踏んづけ乗り越え、自転車は走って・・。気がつくと、私は両手を上げたまま、下り坂を30mかそれ以上も、転んでいないではないか! 自転車はそのままさらに走る。なんと両手離しがやれてる! ぞっとした後の、驚きと快感だった。

 それをきっかけに毎日はげんだため、まもなく寺の下の直角の曲がり角さえ、大回りすれば両手離しで、曲がれるようになった。 私って名人かも、と有頂天になり、すこしは自信が持てるようになった。自動車は通らず、人通りもほとんどない村道で、ただ人に見られていないかは、必ずいつも確かめるようにしていた。

 それから30年後の夏、41歳の私は、アメリカ移住していた姉の一家を訪ねた。前年に姉は夫を亡くし、大学生の娘と高2と小5の息子の3人を残されていた。私は皆を慰めようと、旅に連れ出すつもりだった。

 ワシントン州の姉の家に着いた時、目についたのが、前庭に転がしてある自転車だった。小5の甥のだが、実にふしぎな型に思えた。ブレーキ、ベル、ライト、前カゴ、荷台はすべてない。スタンドもなく、垣根や壁に立てかけるか、地面に転がすしかない。シンプルそのもの、これぞアメリカ流合理的な型なのだと思った。

 これを乗りこなせなくては、自称名人の名がすたるとばかり、翌朝から試してみることにした。どこかへ出かけるには、車の運転係を引き受けている、高2の甥が起きだす10時過ぎまで待たねばならず、時間つぶしでもあった。

 朝7時前には起きて、ひとりで試して見た。ブレーキはペダルを逆回しすると止まる、と甥に教わっていた。あたりには、まだ誰も見かけず、どの家の前庭にも人影はなく、車は通らず、信号もない。もちろん、警官もいない。初めは恐る恐る、そのうち大胆にぐんぐん飛ばしてやってみると、ちゃんと見事にできた。二度目の有頂天だった。毎朝、最長記録を伸ばす勢いで、かなり遠くまで自転車を走らせ続けた。

 甥が起きて準備が整うと、姉たち4人といっしょに、シアトルやバンクーバー、オレゴン州へも泊りがけで出かけた。家の近くで行われた、カウンティ・フェア(州の品評会兼即売市)へも出かけ、東京で留守番の息子たちへのみやげ物を買ったりもした。

 2週間滞在して、10日あまり自転車に乗ったが、後半はどうせ乗るなら、身支度もそれらしく・・と、私は生まれて初めて着る、長男へのみやげ用に買ったジーパンの裾を、4つ折に巻き上げて穿き、次男用に買ったカウボーイハットをかぶって、意気ようようと走らせ続けた。

 ところで、帰国の前日、お向かいの息子さんの結婚式に、出席することになった。父親はアメリカ人、母親は日本人で、東京の横田基地で知り合ったとか・・。ハーフの息子さんと、純アメリカ娘が挙式することになり、近辺の日本人が、残らず招待されたのだった。

 教会での挙式が無事終わり、2人が車でハネムーンに出発した後、近くの大学の体育館での〈食事会〉に200人以上が招かれた。日本側は寿司、餃子、コロッケなどなど、アメリカ側もベーコン・ビーンズやローストビーフなど、皆で頂きながら談笑していた。

 するとお向かいの奥さんが私を紹介しようと、姉と共に、近所の人たちのテーブルに連れて行ってくれた。皆がいっせいに身を乗り出して、私たちを見た。中のひとりが叫ぶように言った。

「ザッツ・メイクス・センス(わかったぞ)! ユウアー・ライク・トウ・ピーズ (お二人は、瓜二つだ)!」   お姉さんはおしとやかで、ほんとの淑女だと思っていたのに、近頃どうなったのかと、窓の中から見ては、家族中でふしぎがっていたのだと! ひゃあ、見られてた! 身の置き所もなかった。穴を掘って、頭までもぐりこみたかった。

 その後、どうやって姉の家まで戻ったか、覚えていない。姉は日本女性らしく、つつしみ深く控えめに生活していたのだ。ほんとは平均台の上で、逆立ちだって脚上げだって、何でもできる人なのに・・。私は考えもなくはしゃいで、大人げなく〈旅の恥はかき捨て〉みたいに振舞ってしまった。

 名人は返上!〈やまとなでしこ〉の評判をおとしめ、日本中の女性に謝りたいと思った。国の外では〈日本人〉として、代表のように見られることを、肝に銘じていなくては・・。

(と自覚しているのに、2014年に電動自転車を買って、さすがに電動ではできなくなった74歳まで、性懲りなくひそかに続けていた。何歳までやれるものか知りたくて・・・。 後ろから来たおまわりさんに、二度注意されてしまって・・・。ごめんなさい! ほんとにごめんなさい!)


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