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エッセイ::どっきり体験集(1)~10) 4.アヒル騒動記

    3人の子どもたちが小学上級生の頃、父親と何の動物を飼うことにしようかと、よく話が盛り上がっていた。馬を飼おう! お父さん、池袋の大学まで馬に乗って行くと、かっこいいよ! 馬小屋がいるね。ヤギもいい! ここは裏の空き地が草だらけだから、えさには困らないよ、などと言いたい放題したあげく、父親の提案で、落ち着いたのはアヒルだった。

 でも、私と義母、義姉は大反対した。騒音と臭いで近所迷惑だし、えさの世話は、私たちになるに違いないからだ。攻防の末、アヒル2羽なら、と妥協して、夫は青梅の畜産試験場に電話で注文した。

 ところがこの時、夫は12羽も頼んでしまったのだ。夫いわく、「これから孵化するのに、孵化器の中にたった2個の卵なんてかわいそうだよ」と、言い張ってゆずらない。もう頼んでしまったし、どうしようもなかった。 

 日数を経て、夫と共に青梅へ車で雛を迎えに行き、ダンボールの中でひしめきあっている、12羽の雛たちを目にしたとたん、私のしかめ顔がゆるんでしまった。ニワトリの雛と見分けのつかない、黄色いふわふわの、なんとも言いようのない愛らしさだ。小さい生き物の魅惑の力には脱帽だった。

 生命力の違いがあるのか、実際に大きくなれたのは7羽だったが、近所の人たちも見物にくる人気で、鳴き声や臭いはあるはずなのに、苦情を受けることは一度もなかった。というのも、間近な隣家は西隣だけで、当時我が家の南側には、1000坪もの空き地が広がっていて、ススキや雑草が生い茂り、子どもたちは基地を作って遊べたほど、空間に恵まれていたからだ。

 やがて、どのアヒルかわからないが、1羽が卵を産み始めた。大きさはニワトリの卵の3倍はあり、ニワトリのえさを与えていたせいか、臭みはなく、料理に使うとボリューム抜群だった。

 7羽のアヒルの中に1羽だけ、いつも身汚く見えるのがいた。他の6羽は真っ白の羽根がふっくらしているのに、この1羽だけ、羽根は泥に汚れ、べっとりと体に巻きついていて、見るからにみすぼらしかった。

 夫は、このアヒルを庭先の竹やぶの中で、絞めた。すると、毎日産まれていた、1個の卵がぴたりと止まった。あのアヒルが産んでくれていたのだ!

 夫も私もとんでもない罪を犯したような、後悔が残った。若い体で卵を産むために、体の脂が卵にまわって、真っ白な羽根を保つことができなかったのか。自分の身を削って卵を産んでいたのだ。見かけで判断したとは、なんと浅はかな・・。

 やがて、順に卵を産めるアヒルが増えていき、6羽全部が産み始めると、その大量感に圧倒された。近所に配り、離れた親戚に配ってもさばききれず、桧原村のある一家に、何度も届けて、食べて頂いたりした。

 アヒルの卵はにわとりのよりも、殻(から)が何倍も丈夫なことに気づいたのは、カラスのせいだった。アヒル小屋は庭のすみに、半分は屋根つきで、残り半分は屋根なしにして、アヒルたちが太陽に当たることができ、水浴びもできるように、池もつけてあったが、時折カラスが侵入して、卵をさらって行った。

 カラスは知っているのだ。高い所から卵を落とせば、割れて中身を吸えることを・・・。その通りを実行したらしく、近辺の草原の思いがけない所に、アヒルの卵が傷ひとつなく落ちていた。

 何度か繰り返されていたが、どう落としても、割れないことを、カラスも思い知ったのか、卵には近寄らなくなった。

 実を言うと、夫がアヒルを飼いたいと言い出したのには、理由があった。食べることが大好きな夫は、ペットとして飼うつもりではなく、世界三大珍味のひとつである、北京ダックを食べたくて、アヒルを選んだのだった。

 ある日、夫が台所口から入ってきて、食事作りをしていた私に、ぽつりとこう言った。「出家したくなった」と。

 え? どうして、と聞き返すと、竹やぶでアヒルを2羽絞めたけど、もう二度としたくない、と・・。

 でも、なんとか調理できる形にまでしてくれて、私は最初の時と同じように、オレンジといっしょにグリルした。が、一度目と同様、夫以外は家族の誰も食べてはくれなかった。

 たくさん残った生肉に困り、当時、三鷹住まいしていたイギリス人の親友、パムさんにTELして打ち明けると、ダックは大好き、ぜひ欲しい、というので、喜んで持参した。

 彼女の友人たちは、ダックの肉を求めて、都心を探し回っているそうな。いつでも引き受けるからね、と言われたものの、二回絞めたことで、出家したくなるほど改心した夫は、残り4羽はペットと決め、二度と竹やぶに入ることはなかった。

 南側の1000坪の空き地に、つぎつぎと家が建って、わが庭は囲まれていき、賑やかに鳴く残りのアヒルたちを、見物にくる親子連れも増えた。

 こうして、飼い始めて10数年が経ち、最後の1羽が天寿を全うして、我が家のアヒル騒動も、思い出だけを残して、終わりを告げたのだった。

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