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(私のエピソード集・2)お見合い

わざと帰省を1日遅らせたのに、やっぱりお見合いをさせられてしまった!

 富士宮のEの家に泊まって、次の日倉敷へ帰ってみると、その夜のうちに母が連絡をつけたらしく、翌日が私の〈お見合いの日〉に設定されていた。どうあっても、母は私に見合いをさせたいのだ。

 よそいきの服をわざと持ち帰らなかったので、2歳下の妹の上下服を借りることになった。山吹色の襟ぐりの開いた形は、私ごのみではなく、妹とは体型も違うので、身にそぐわなくて、居心地悪くてならなかった。

 その日、両親と共にバスに乗って、会場に指定された、かなり遠くのお寺に向かった。浮かない顔をしている私に、父がバスの中で、大分弁でこっそり言った。                                「見合いは、気が合わなけりゃ、断ればええんじゃちこ」と。

 そうか、断ればいいんだ、と少し気がラクになった。

 お相手とそのご両親、私たち親娘3人、それにお仲人夫妻と8人が、お寺の座敷の席につき、紹介などがすんでから、若い二人だけで、寺の庭を散策することになった。

 立ち上がって外に出かかった時、お相手のあまりの背の高さに、びっくりしてしまった。私は153センチのチビなのに、その人は185センチを越えているように見えた。ハイヒールをはいているのに、並ぶと私はその人の肩にも届かないのだから。

 私はふと高二の夏休みに見た、映画のジーン・シモンズの台詞を思い出した。「背が違いすぎて、キスもしてあげられないわ」と。思わず吹き出しそうになった。彼女は結局、のっぽのウエリントン公爵と結婚するが・・。

 玄関の外へ出たとたん、どこかの団体の老婦人たちに出くわした。私たちを目にすると、すぐに〈お見合い〉と察したらしく「お似合いじゃね」と小声で言い合っているのが聞こえた。オベンチャラ言って! と私は早速いらついた。どう見たって、お似合いじゃないのに!

 ほんとに二人だけになった時、その人の第一声がこうだった。    「あなたには、おつきあいしている人がいるでしょう。わかりますよ。それで、日にちがずれたんですよね」

 まさに図星だった! 私は目を丸くしてしまい、あ、ばれた、驚いた顔でよけいに・・と思ったけれど、一気に気がラクになって首をすくめた。緊張で息もひそめていたのに、ウソをつかなくてすむ、と思うと肩の荷がおりて、自然に笑顔になっていた。

 その人は続けてこう言った。                   「今日はのんびり、ピクニックに来たと思って、お話して時間をつぶして、お別れしましょう」

 私はますます気がラクになった。その人には、申し訳なく思わなくてはいけないのに、とわかっていて、ちょっぴり気がとがめてはいたけれど・・。

 それから二人でベンチに座って、2時間近く実によくしゃべった。彼は大学の頃のこと、会社のこと、家族のこと・・。学生運動にも少し関わったことや、以前はつきあっていた人もいたことまで、話してくれた。

 私は女子大の寮に、4年間住んでいたこと、女子高での生徒たちのこと、小さい頃、外地にいたことなどを話した。

 もちろん一昨日会ってきた彼のことも訊かれ、少し話すと、いいなあ、とその人は心から賛成してくれた。気持ちの温かい、誠実な人だった。

 いつの間にか時間が経ってしまい、二人でどうやってこの〈見合い話〉を断るかの打ち合わせまでした。

 別れ際に、その人が残したひとことに、私ははっとなった。     「敵は本能寺ですね」

 なんと適切な言葉を、ぴしっと言える人なのだろう。もっと話をしていたかったような、このまま二度と会えないのが、心残りのような・・。

 その翌日、仲人が母に知らせてきた。                「ぜひお付き合いしたいとのことです」

 とそう聞いたとたん、                      「うそ、そんなはずない!」と、私は口走ってしまい、たちまち、二人で打ち合わせしたことが、ばれてしまって、母がかんかんに怒った。

父は呆れながら、どうせこの件は実るはずもない、と思っていた風だった。

 それが女性側を傷つけまいとする〈仲人口〉というものだということを、しばらくして知った。

★あの日、私がいつになく自然にふるまえたのは、前々日のE宅訪問の余韻が残っていて、気持が明るい方へ傾いていたお蔭だったのだと思う。

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