1-(1) 引越し!(4月)
マリ子は窓を開け放した。わあ、山すその2階っていいな、道より一段高い坂の上だもの。遠くまで見える!
麦畑はみどり、イグサの田んぼは濃いみどり、レンゲ畑はピンク、菜の花は
真っ黄色!
お向かいの黒い屋根がわらの向こうに、絵の具をまき散らしたような〈帯野村〉の景色が見わたせた。井筒山の山すそをぐるっと半周して、東側のおじいちゃんちから西側へ引っ越して来ただけだから、同じ村内だし、見なれた風景のはずなのに、風までちがってる気がする。
「ヤッホー!」
思いっきりどなったら、目の下の道をへだてたお向かいの庭で、ドタドタ足音がして、生け垣のかげから、黒い頭が飛びだしてきた。みるまに、納屋の前の井戸との間に、男の子たちの頭が、7,8つ並んだ。高いの、低いの、太ったのやせたの、みんなマリ子を見上げている。
マリ子は思いっきり手を振った。待ってて、あとで仲間に入るから、というつもりだった。みんなは声も立てず、顔を見あわせた。
階下から、おかあさんの呼ぶ声がした。
「はあい!」
マリ子ははずんで、階段の方へかけもどった。これがうれしくって! 2段とびでかけのぼったり、どどどどと早下り記録挑戦してみたり、さっきから何度やってみたことか!
山向こうのおじいちゃんちでは、はなれのへやを借りていて〈いそうろう〉だった。
今度は古いけれど2階のおとうさんの書斎のとなりに、マリ子とお兄ちゃんだけの〈子ども部屋〉まであるんだ。
階下の〈茶の間〉では、おとうさんがタンスの上に、棚をつけていた。 おかあさんは外でリヤカーの荷物をおろしている。
「弘、片づけしてね。マリちゃんもこれを運んで」 「はあい」
マリ子は土間をとび出した。弘お兄ちゃんが、リヤカーのそばにしゃがみこんで、また本にのめりこんでいる。
こんな時のお兄ちゃんの頭の上には、マリ子には見えない〈ふうせん〉が、大きく広がっているはずだった。そのふうせんの中の、海底世界だのジャングルだので、本の中のヒーローたちと活躍してるつもりなんだ。
へんなの。マリ子は物知りの点ではお兄ちゃんを尊敬してるけど、ちょっぴり軽蔑もしている。ひどい運動音痴なんだ。
おかあさんは本の束をよりわけていた。お父さん用の高校の数学の本は2階へ。おかあさんの小学校の家庭科用のは、階下の茶の間のすみへ。
おかあさんが大きなひと束を、マリ子に寄こした。マリ子はついでに、お兄ちゃんの手の中の本も取り上げてやった。
「何すんなら・・」
お兄ちゃんは反射的に口をとがらせたが、顔はうっとり、ぼんやりしていて、迫力はない。ふうせんをはじかせたのは、マリ子だから、こういう時は静かに言ってあげる。
「目に悪いが。2階の自分のへやで読めば」
お兄ちゃんは目が覚めたように、自分用の本の束を2つ抱え、2階へとんで行った。
おかあさんがくすっと笑った。
最初の客がやって来たのは、午後3時頃、やっと荷物をほぼおさめて、お茶を飲んでいる時だった。
お父さんが小声で、東どなりの川上さんじゃ、家主さんで地区長もしとる、と教えてくれて、頭を何度も下げながら、家主にこう言った。
「おたくの井戸を使わしてくださるそうで・・それに、畑までむり言うて貸してもろうて・・」
「それも家賃のうちじゃけん、うわっはははっ」
川上のおっちゃんは、がっちりした体を揺すって笑い飛ばした。それから、連れて来た大きな子をぐいと前に押し出した。
「これがうちの末っ子の正太じゃが、この西浦の子ども会の係でのう。4月から中学2年じゃ。先生とこのお子も、中学3年までは会に入ることになっ
とんじゃ」
マリ子はおとうさんの後ろから、正太を見上げて名乗った。
「うちはマリ子、4年生になるん。弘お兄ちゃんは6年じゃ」
父親似の四角い顔をした正太が、いっしゅん目をパチパチさせた。それからちょっと顔を赤らめて、太い声で言った。
「4年は大屋 (おおや) の加奈子と、お寺の静江がおる。6年は東の田のしげると、中洲(なかす)の洋子じゃ」
「大屋て、なに? 中州て?」と、マリ子。
「屋号じゃ」
正太が答えると、父親が口を出した。
「あんたなら〈借家の先生とこのマリちゃん〉かな」
おっちゃんはまた豪快に笑うと、正太をこづいた。
「おめえ、2人を東の棚田に連れてっちゃれ。さっきあそこで皆遊びょう たで。仲間にしちゃるのも、おめえの役じゃろ」
正太は気が進まないのか、だまりこんだが、マリ子がはずんで土間に飛び 下りたので、あきらめたらしい。
「お兄ちゃん、行こう!」
と、マリ子は2階のお兄ちゃんを呼び立てた。
[画像は、欄紗理 (かざり)作}