
エッセイ:どっきり体験集(1)~(10) 10.縁結び先生
英語科主任のG先生は、4月の最初から、ひそかに腹案があったらしい。私を英語科担当の他に、クラブの顧問として、〈登山部〉担当にさせた。山など登ったこともないのに、ムリですと抗議すると、先生は意味深なことを言った。
「実はね、3月で非常勤講師を退職した、数学のE先生が、今までと同様に、登山部といっしょに行ってくれることになっててね。君に会わせたいと思ってるんだ」
その人は、この高校の理事長であり、東大大学院の教授でもある、定年間近い守谷美加雄氏の、最後の弟子にあたる人で、4月から守谷氏の元で、博士課程の勉強をしている。3月末までここで数学を担当していたが、君とはすれ違いだったね、と。
私は少しも興味を惹かれなかった。心に引きずっている人がいたから・・。
早速、5月の連休中に、登山計画が実行されることになり、私の名も組み込まれていた。が、当日、私は高熱を発し、同居していた妹に「欠席の電話」をしてもらった。
連休明けに、G先生は、何やらみやげ物を私に差し出した。「E君もその日登山に参加して、クラブを手伝ってくれてね。君が来るはずが来れなかったので、何かみやげを買ってやれ、とむりやり買わせたんだ」
そうまでするなんて、どうして? と思いながらも、ことわり切れずに受け取った。三角形の山のペナントだった。私にはまったく興味の無い、手にしたこともない品だった。これはどうするもの? 壁に貼るのかな?
「お礼の手紙くらいは出すものだよ。住所は名簿に入ってるから」と先生はそう言っただけでなく、それから二、三度、私に書いたかどうか、確かめの問いかけまでした。が、私は結局、一度も書かないままだった。
手紙を書くのは、いつもなら造作もないが、顔も姿も知らない人に、心にもないことを書く気になれなかったし、新米ゆえ授業の準備など、仕事の方が忙しすぎて、手紙を書く余裕がなかった。
G先生は諦めない人だった。6月のある日、職員室の中に輪ができていて、近づいてみると、真ん中に二人が向き合って〈囲碁〉を打っていた。教頭先生と知らない小柄な人だった。
「彼がE君だよ。碁が得意でね。ここの誰も太刀打ちできないんだ。君に会わせたくて、呼んだんだ。後で、紹介するよ」と、先生は実に気軽に言った。いいです、いいです、と私はその場を逃げ出した。
でも、その後、体育館で彼を歓迎して、皆で卓球をやることになり、私もこの4月から入った女性5人の、新人教師のひとりとして、参加しなくてはならなかった。E氏とも対面で、球を打ち合うことになった。下手くそ同士だったが、いつのまにか気分もほぐれて、ともかくも、頂いたおみやげのお礼を言うことだけはできた。
それからしばらくした7月初め、手紙で映画に誘われた。彼との最初のデートだった。銀座に近い大きな映画館で『アラビアのロレンス』を観た。
映画そのものは、私の関心とは離れすぎて、感動的とまでは言えなかったが、その後、食事をして帰り道に、財布をさぐっていた彼が、言ったひと言が、何よりの衝撃だった。「お金を貸してくれませんか。帰りの電車の切符が買えなくて」
え? とびっくりだった。数学者のくせに、お金の算段がつかないの? どうして高いロードショーの切符を二人分買って、食事代も二人分払ったの? ロードショーなんかじゃなくて、名画館の安い映画でもかまわなかったし、最初から割り勘にしたって、私はちっともかまわなかったのに・・。彼は学生で、私の方が勤め人だし、ボーナスも出るし・・。そうか、私の方が、先にそう言うべきだった! などと、呆れたり反省もしたりしながら、私は千円札を彼に渡した。
何となくおかしくて、思い出すたびに吹き出してしまい、それがきっかけだったのか、つき合うようになり、夏休み中の彼の自宅訪問の成り行きにもなった。
つき合いが増えるにつれ、博士論文の時間が削られるわけで、「犯罪の陰に女ありだな」と笑わせるのだが、やるべきことはやっているらしいのが、頼もしかった。(大学時代からの友人のSは、同じ頃、修士論文に取り組むために、私との連絡を絶つことにする、という手紙を寄こし、それきりになっていた。 気になって、いつも心にあったけれど)
それにしても、G先生が、なぜあんなにも、Eと私を結びつけたがったのか、後になって思い当たる点もあった。彼が満州からの引揚げ者で、引き揚げ途中に父親を亡くし、大変な苦労をして、東大の大学院の博士課程を、終えようとしていたこと。私も北朝鮮からの引揚げ者の大家族で、同じように貧乏の体験をしていたこと。先生は友人として、彼を応援したかったのだ。
縁結びをしてくれた点では、大恩人なのだが、ただ、先生はこんなことを付け加えたことがある。自分の娘が年頃だったら、絶対に彼の嫁にしたかった、実にいいやつなんだ、とそう言った後で、こう言い足して、ガハハハと笑ったのだ。5人の中で、私の腰がしっかりしていて、よい子どもを産みそうな体つきだったから、だって!
あれは蛇足だよ、と私は今でもふくれたくなる。