本を積める人になれました。
「積読」「積ん読」
最近知った言葉だ。どうやら言葉の期限は古いものらしいが全く知らない言葉だった。
Wikpediaによると
「積読」
入手した書籍を読むことなく自宅で積んだままにしている状態を意味する言葉である。
買ったけど買ったままになってしまい、未読の本が溜まっていくこと・・・・。
私はこんなこと、「積読」なんてあってはならない!!!絶対に許されない!!!というタイプの人間でした。
変に頑固というか、読むぞと意気込んで買ったくせに読まないというのは負けた気がするというか、そもそもお金の無駄じゃんとか。
読んでいない本が複数冊あるお状態が常であることなんて御法度すぎると。
とにかく信じられない行為だったんです。この間までは。
ある時、読んでない本が部屋にたくさん溜まっていったり、なんなら買うことに意味があって、読んでも読まなくてもどちらでもいい、みたいなことを言っている何かを見かけて私はかなりハッとした。
私の中で革命が起こった。まさに、青天の霹靂。
なんで1冊読み切るまでは次の本は買ってはいけない、みたいな思考になっていたのか。
※これはだいたい想像がついて、おそらく子供の頃に親から言われる「おやつは一つまでよ!」のやつだと思う少ないお小遣いで親のお金だから、絶対に無駄にしてはいけない=読まない本は買ってはいけない。コレだと思う。笑
もちろん無駄なものを考えもせずポイポイ買うのはよくないし、お金の教育的な観点からは大事なことなんだけど、私の1冊囚われ思考はここら辺からだと思う。
私は本は好きだけど、ちゃんと消化しながら読もうと思うとそこそこ時間がかかる。
好きなものが結構ある多趣味タイプなので、読む時は読むけど、読まないときは全く読まない。
だから読み切るまでは次の本は買わない思考だと、気になった本を買えないのである。
買えないから、せっかく本屋さんで興味ある本に出会えても、いつかは忘れる。
本はその時の自分の調子だったり、思考状況・気持ちだったりが素直に反映されると思っている。
仕事に疲れているときは、大判の日常系?の漫画に手が伸びやすくなったり・・・
言語はできないけれど読める話題と読めない話題がその時々によって、はっきり違ってくるのを感じる。
なのでその時の自分を1番表す物なのに、変な凝凝な考え方からせっかくの機会を逃している気がずーっとしていた。
解決方法は簡単で、買えばいい。
別に明日読んでもいいし、半年後でもいい。
表紙が可愛いからだけでもいい。部屋に積んでおけば可愛い。
とってもとっても楽になった。
というか、これでいいのかと私の中の何かが肯定されて、溶けていく感じ。
でも誰も教えてくれなかったな。
みんな買った本は即座に読み切っていく物だとばかり思っちゃってた。
教えてもらうほどのものではないんだろうけど、もうちょっと早く気づきたかったなというのが27歳の本音。
積むことを覚えた私はだいぶ強気だ!!
(そのせいで財布が緩み、散財してしまっているのは考えものなんだけど。)