海がきこえる旅 #2 | 20220807
海を見にいくか、川を見にいくか。
僕は海が好きだ。海水浴はしたいとは思わないが、海をずっと眺めているのが好きだ。このことに気づいたのは、大人になってからだった。少なくとも高校生くらいまでは、「海なんか嫌いだ」と公言していた。なぜなら、横須賀の海は汚かったからだ。いつも近くにあって見える海は、泳ぐなんて考えたくもないくらいに思春期の潔癖な心には汚いものに見えた。
しかし、横須賀から離れて、東京で一人働くようになると、なんだか息が詰まるようになった。そうするといつも、「海が見たい」と思うようになるのだった。それで、千葉の「犬吠埼」だとか「鵜原理想郷」だとか、そういう「岬」があるようなところを目指していた。
そうなってからようやく気づいたことがあった。そういえば、横須賀にいたことには、遠くには必ず海が見えていた。家から見えたというわけではないが、小学校は丘のうえにあって、向こうには海があったし、中学校や高校、大学に通うための電車に乗ると、やはり向こうに海があった。向こう側は、広い何もない、海と空があるばかりだ、という地平は、おそらく僕の精神に何らかの作用を与えていたのではないだろうか。
そうして、仕事ばかりするようになって、高いビルに囲まれた「内地」のように見える世界、どこにも「向こう側」がなくなってしまった世界に息を詰まらせて、ときおり「海が見たい」なんて思うようになったのではないか。そんな仮説を立てながら、僕は「岬」を目指す。
そう、ただの「海」ではだめだ。もう、「この先がない」というのと、この先にただ何もない世界が広がっていること、荒い、人の力の到底及ばない水量とエネルギー、そういう光景が見たかった。きっと、「人の力ではどうにもならない」ということを、知りたかったのだと思う。あがくことを、やめたかったのかもしれない、ただ、それでもこのエネルギーのまえでは、恐怖するしかない、そこに踏み込んでいくことはただ恐ろしいことだと、知りたかったのかもしれない。
まだよくわかってはいないが、そういう「時空」が「岬」だった。だから、僕にとって妙に大切な「岬」を題材にして詩を書いている。現在、連載中の「岬のヒュペリオン」はまさにそうした「岬」を舞台とした物語詩だ。まだまだ物語はつづく、その物語をつむぐためには、「岬」を見に行く必要がある。
しかし、その「海」は遠かった。
「海がきこえる旅」だから、「海」は見ずにはいられまい。だが、僕が目指したのは「四国最南端」の「岬」である「足摺岬」だった。高知市内から実に3~4時間かかる場所だ。往復の時間を考えると、行くだけで一日が終わってしまう。しかし、ここまで来て、「足摺岬」まで行かなかったら、いったいいつ来るんだ。ここで行かなきゃいついくんだ。
そうやって魂を奮い立たせていたが、高知にはまだまだ僕たちの心をつかむものがいくつもある。それが、「川」だった。僕のなかで「海」には優先順位が劣るが、それでも、ここにあるのは「四万十川」だった。四万十! そんな名前の大河を見ないで一生を終えることができようか。さらに、「日本一の清流」と謳われた「仁淀川」までこの高知にはあるのだ。日本一の清流……という言葉に僕はとりつかれていた。
「四万十川」は、大学時代に合唱曲で歌ったことがあった。いつ、どのタイミングで歌ったのかはまるで覚えていないが、木下牧子作曲の合唱組曲で、一つ二つのフレーズが「四万十川」という言葉から思い出された。あのころは、ほとんど四万十川が、どこにある、どんな川なのかわからずに歌っていた。なんと浅はかだったのだろう。そして、あの「歌」にあった光景が、いま、手の届くところにあるのだ。
僕は迷っていた。
海にいくか、川にいくか。
僕は決められなかったので、両方いくことにした。
観光案内所のおじさんは何しろ遠いですからどちらかにした方が…なんて言っていたが、そんなことは関係ない。
四万十川は足摺岬の手前にある。だから、途中で寄ればよかろう、なんて安直な計画をたてて、朝いちばんで出発した。
母なる四万十川
長い道のりについては語るのはよそう。
3時間くらいかけて「四万十川」についた。
大きな川だった。このあたりで有名なスポットは「沈下橋」というものだ。ただの川を渡るための橋なのだが、これがまた細くて柵がない。車は、この柵のない細い道を通っていく。どうしてこの道をあんなに平気な顔して運転していくのだろうと不思議だった。ただ、橋の上を歩くだけで、人とすれ違うだけでも僕は高所恐怖症なので恐かった。
これが四万十川かあ、と恐る恐るだが、沈下橋に腰をおろして、眺めていた。澄んだ水が流れている。天気はかろうじて青空をのぞかせている。日の光が差し込んで、水面がきらきらと光っている。「かがーやくーしまんとがわー」「ははーなるーしまんとがわー」なんていう歌のフレーズがあったような気がする。
たしかに、この地域一帯にとって、この川は「母なる川」なのだろう。これだけきれいな水が流れているのだから、この水でなんでも育てられる。実際、高知の食材はなんでもおいしいのだった。もちろん、この川の水は山より下ってきているわけだが、山並みもすごい。高知の森林率は84%で日本一だと言うのは有名だが、山登りをはじめていくつか山を見に行ってきても、こんなボリュームの森林や山は見たことがないと思った。
ここで育つ、ということはどういうことなんだろうか。僕は横須賀育ちで、遠くに海がみえたという話をしたが、こんな山川が目の前にあって育つと、どんな世界が見えるのだろうか。東京は、どんなふうに見えるのだろうか。
もうお昼だったので、何を食べようか考えた。この川の「鮎」を食べたいと思っていたが、「四万十」の売りは「鰻」だった。しかも、「天然鰻」である。そんなもの、いくらするんだ!? と思って店のメニューを見ると5000円だった。しかし、しかし、この希少な天然鰻を、しかも、四万十の、である。食べないわけにはいかぬ、と壮大な言い訳をして、注文した。
素朴、というか。何もけがれていない味がした。お化粧も何もしていない味。これが、ほんとうのことなんだ、というのを鰻から学んだ。
四国最南端 足摺岬
さて、ようやく、足摺岬を目指す。途中に見える「黒潮町」あたりは「くじら」を見るホエールウォッチングイベントも行っている場所であるらしい。このあたりでさえ、海の水はきれいに澄んでいた。これは横須賀の海とはちがうなあと思い、期待に胸を膨らませながら、長い旅路の果て、「足摺岬」に到着した。
ずいぶんと暑かった。岬に出るのは、すこし林のなかを入っていかねばならなかった。木陰でいくぶんかは涼しいが、歩いていると汗が噴き出てくる。途中からTシャツがシャワー浴びたみたいに濡れていた。が、灯台とともに姿をあらわした「足摺岬」は美しかった。
白い灯台から、さらに盛り出た背の高い岬。波が崖に押し寄せながら、白い泡となって溜まっていた。展望台に立って見ていると、場所によってぜんぜん風の強さがちがう。
ようやくここまで来たんだなあと感慨にふけりながら岬を見ていた。しばらくして、海が近くで見られる場所におりていった。これも林のなかを歩かねばならなくて、海辺におりたときにはもうシャツがしぼれるほどになっていた。これはまずいと思って、早々にひきあげて、自販機をみつけてはスパークリングアクエリアスを飲み干した。
目的は達した。水族館などもあるようだったが、時間もそうあるわけではないので、帰路につくことにした。
帰り際に、ついでだからともうひと頑張りして「桂浜」まで行った。砂浜に、重たい波が寄せては返し、ここもずっと見ていられるような海だった。
宿についたのはかなり遅くなった。なにやら「大会」の選手団体が一緒に泊まっており、大浴場はすごいことになっていた。思い出したくないほどの光景で、脱衣所では洗面台に座ってLINE電話をしている。なんということだと思ってさすがに宿に連絡をしたが、その後どうなってのかはわからない。
なんだか、台無しになった夜であった。