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#43 ひさしぶりにエヴァQを見た話

※本稿には「エヴァQ」のネタバレを含みます。

真夜中に「新劇場版ヱヴァンゲリオン:3.0」(通称エヴァQ)がやっていたので途中からだったが久しぶりに見た。一昨日くらいの話。

以前エヴァQを見たのはもういつのことかわからないくらいだが、劇場ではじめてみたときはただ茫然としていたのを覚えている。

当然、Qを見るまえに序・破と見返していたので、ある意味でテンションの高いノリでこのあとも続いていくものと思っていた。破の最後は綾波レイを助けるためにシンジ君はいわば世界を引き換えにしようとした。それにミサトさんも「いきなさいシンジ君!」なんて言って応援して、レイを助けられてよかったね!というフィナーレだった。

つまるところ、破を見たぼくたちはきっとその続きを期待して見ていたに違いない。しかし、Qでは、そんな期待をすべて裏切るような展開が続いていく。なぜか14年も経ったあとの世界で、世界は崩壊したあとだった。シンジ君は年を取ったミサトさんらには異常に煙たがられる。トウジの妹には「エヴァだけには乗らんといてくださいね!」と言われたりもする。

おそらく、観客みんなが「なんだこれ……」と思いながら見ていたにちがいない。しかも、肝心の綾波レイも救えておらず、誰からも煙たがられるシンジ君も絶望の真っただ中にある。ぼくたち観客も、いやいや、これって、あれだよね、夢みたいなもんだよね。そうそう、序・破・Qとかいってさ、漢字じゃなくてアルファベットになったってことはさ、分岐があったんだよね、だから並行世界のうちの一つのバッドエンドパターンがQなんだよね……なんて納得しようとしたりもする。サブタイトルに(not)が入ってるじゃん? 今回はnot世界なんだよ!なんて。

そこに、唯一の理解者としてのカヲル君が登場する。そしてカヲル君は言う。

エヴァで壊しちゃった世界は、エヴァに乗って直せばいい。的なことをやさしく語りかけてくる。それはシンジ君の希望であり、ぼくたちの希望でもある。うんうん、やはりこの世界は間違いなんだ!

そして、カヲル君は二本の槍を手にすればやり直せるよ!と教えてくれる。それはもうシンジ君は飛びつくよ。このわけのわからない世界をやり直せるなら。それはぼくたちの願いでもある。しかし、槍の目前でカヲル君は「何かがおかしい…」とか言ってやっぱりやめようみたいなことを言ってくる。

何言ってんのカヲル君。もう目の前にあるんだよ? これで世界をやり直せるんじゃないか!シンジ君の言葉はまさにぼくたちの言葉だ。(しかし同時にシンジやめろ!!!!とも願っている。)

結局、シンジ君が二本の槍を手にして、またシンジ君はこう言うことになる。

「なんだよこれ……。」

つまり、エヴァQは徹底的にぼくたちの期待を裏切る物語になっていた。もはやシンジ君の期待は観客の期待と同化し、「エヴァを見ること」自体が「エヴァQ」そのものとなっている。

そして、それらのヴィジュアルイメージもそれぞれが凄まじい。何年も経ってからあらためて見ると、よくこんなめちゃくちゃをやって成立するなあと夜の深いところで感動していた。

それにしても、ネルフにはもうゲンドウと冬月しかいなくなってるのも不思議な光景だった。ゲンドウはとにかく妻のユイを生き返らせようとしている。これは世界中の神話にあるモチーフだ。

そして冬月がゲンドウに「おれはおまえについていくよ」みたいなことを言っているが、冬月がゲンドウについていくモチベーションはいったいなんなのだろう。

Qではシンジ君と冬月が将棋をさすシーンがあるが、ゲンドウはユイにまつわるすべての記録を処分してしまったが、冬月はユイの写真を一枚持っていて、それをシンジに見せる。

あれ、なんで冬月が持ってるの? 冬月もユイの復活を望んでいるということ? っていうか……

そういえば、TVシリーズ、劇場版含めて、エヴァはそもそももっと「性的」だった。ゲンドウもリツコやらその母やらと多々関係をもっていたり、ミサトさんにいたってはそういうシーンもある。そう考えると、ネルフ内では、いわゆる職場内の情事や色事がきっと絶えなかったのだろう。

ふと、Qを見ているときにそんなイメージを思い出したところで、おいおい冬月さんよお……と言いたくなった。つまり、ゲンドウがシンジ君にめちゃくちゃ冷たいのって、本当に自分の息子かどうかわからないからなんじゃないのか?と考えると自然にストンとおちるような気がするのだ。

そうだとすると、世界を何度もぶっ壊しながら「こいつは誰の子だあ!!?」と壮大な痴話げんかをしているのがエヴァンゲリオンということになるので、あまり「新世紀」感がないのであった。そういえば、新劇場版にはもう「新世紀」というのはついていない。

とはいえ、そんなことが知りたいのならあれだけ生体技術が発達しているのからDNA鑑定でいくらでもわかるだろうから、きっとこれはただの妄想なのだろう。

でも、こういうミスリードのようなものを多々誘ってくるエヴァンゲリオンという作品は魅力に満ちていると思う。どうやら近々「シン・エヴァンゲリオン」公開ということでこちらもまた高まってきた。

もはやQを見たぼくたちに怖いものはない。どんなにおそろしいものがやってこようと受け止められてしまうはずだ。そして、それをたぶん庵野秀明という人は知っているのだと思う。楽しみだ。

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佐々木蒼馬-aoma‐
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