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閉会式追想 | 20210809 | #フラグメント やがて日記、そして詩。17

東京五輪が終わった。開会式から16日。五輪の競技自体はそこそこ楽しんで見ていた。おそらく、いままででいちばんちゃんと見たのではなかったか。とくに「いわかける!」というアニメを見ていたがゆえにスポーツクライミングはとても楽しくみることができたし、スケートボード男子も、あの独特な雰囲気がおもしろかった。自分のスケートボードを地面に叩きつける場面は、怒っているのかと思ったら応援しているのだとか。とてもエキサイティングだった。

ともあれ、開会式はとにかく悪夢のようだったわけだが、今回の閉会式はさらに準備時間もあるし、どうなのだろうと思っていたが、案の定というべきか、本質的には開会式となんら構成に変わりはなかった。

総括すると、とにかく「昭和」の懐古趣味。今回の閉会式は公園で選手たちがのんびりできるようにというのがコンセプトで、公園でさまざま行われる催し物を順にやっていくようだった。宝塚の「君が代」からはじまって、東京スカパラダイスの演奏に合わせて公園で遊び人たちがワチャワチャしていたりする演目があったりする。

「とにかくカオスを作ろうと」などと言ってはいるが、単純に無秩序すぎてなんだかよくわからない。途中から、飽きたように座っている選手たちは、これを見て何を考えているんだろうとずっと考えていた。そういう視点で見ていくと、このあまりに脈絡のない出し物を延々と見せられて、さぞ退屈しただろうと思うと、恥ずかしくてたまらなくなるのだった。

いったいどういう経緯でこうした開閉会式になってしまったのだろうか。少なからずリオ五輪のときの閉会式で見た「東京五輪」にはワクワクするものがあった。「ネオ東京」みたいなコンセプトがあって、あれを継承したら、ディストピア的な東京の姿であっても、フィクションの力がそこに働いて、とてもコンセプチュアルだったと思う。そして、少なからず「未来志向」のものができたと思う。それは、もともとのMIKIKO案ではそうなっていたようだ。

しかし、結局蓋をあけてみれば「欽ちゃんの仮装大会」だとか「紅白歌合戦」の余興的な「昭和」の演目ばかりになってしまった。Twitterで「デパートの屋上」みたいなツイートを見て、まさに!と思った。閉会式の最後の大竹しのぶと子どもたちの演技などは「三丁目の夕日」そのもののようだった。

それでも、こうして「未来」不在の東京五輪は、悲しく、虚しく、閉会したのであった。祭りのあとのさみしさ、みたいなものはあるかもしれないが、なんでも喉元過ぎれば……ではいけない気がする。楽しく競技は見られたかもしれないが、それが、どういういきさつで開催されているのか、いくらかかっているのか、そういう現実的な側面も忘れてはいけないし、きちんと反省会をしなければならないと思う。「コンパクト東京五輪」とはいったいなんだったのか。

猪子さんが提案していた参加型オリンピック計画を読むと本当にワクワクする。なぜ、こうならなかったのだろうか。本当に悔やまれるばかりだ。

  *

一昨日のモデルナワクチン2回目の接種以後、夜から熱がではじめた。いちばん高くて37.8℃だったような気はするが、体感ではかなりきつかった。症状としては全身の痛みと熱、だるさだ。それもじっとしていられないほどの痛みで、夜通し「うぁあぁぁぁあぁ……」ともだえていて、3時ごろまで眠れなかった。ようやく眠くて仕方がなくなって眠ったが、結局5時くらいにまた熱や痛みで目覚めた。

そんなことを昨日一日繰り返していた。急によくなるって聞いていたから、いつになるんだろう、これが何日も続いたら嫌だなあと思いつつ、東京五輪の閉会式をだるいまま見て、あまりのコレジャナイ感を味わって絶望していると、それこそ急に身体が楽になっていった。

だから、僕の場合はモデルナワクチンの2回目の副反応はまるまる1日だった。ただ、想像していたより3倍くらいはつらかったので、これから接種して副反応が出そうな人は、ゼリーのようなものと、水分、冷えピタ、氷嚢、解熱鎮痛剤、そして、眠れない夜のおともにネットフリックス等の動画サービスをしっかりと準備しておくことをおすすめする。僕は「終末のワルキューレ」を見た。わけのわからないことをやるにはこれくらいわけのわからなさにふりきってやるべきだと思った。


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佐々木蒼馬-aoma‐
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