見出し画像

自分の話ばかりしてんじゃないよと言われたりもするけれど

長期休みの宿題の定番といえば読書感想文、だと思っているんですけど、

「はーいこれかこれかこれを読んで感じたことを書いてね〜」

なんて投げ出されてもそう簡単に書けるものじゃなくて、毎回

「いや読むのはいいんだけど…何書けばええんや……」

と、脳内めちゃくちゃぐちゃぐちゃになってたんですよ、小学生の私。

私だけじゃないですよね?え、私だけでしょうか…(だいたひかる)

西の魔女が死んだを読んでも「うん、おばあちゃんが死んだのね、うん、いいね、いいね、羨ましいな」って感じだし

夏の庭を読んでも「うん、ああ知らない老人の死にゆく姿を勝手に覗きたくなっちゃうのいいね、面白いね」だし

走れメロスに至っては「よくこんなに走れるなあ」だし


何をどう読んだって何書けばいいかわかんなくて、それで「読書感想文の書き方!」みたいな本を手に取ると

「主人公の気持ちになって書いてみましょう」

とか書いてあるじゃないですか。
私が読んだそれには書いてあったんですよ、そして早稲アカの先生もそんなようなこと言ってたんですよ。

だから

「主人公はとても勇敢で、私ならそんなことはできないと思いました」
「そんな状況になったら、私なら逃げだしてしまうかもしれないと感じました」
「もし同じようなことが起こったら、私はどうするだろうかと考えました」

こんな感じに、自分ごとに置き換えて書いてやり過ごしてたんですよね。
そんな風に読書感想文を乗り越えてきたの、私だけでしょうか……(だいたひかるアゲイン)

まあそんなこんなで今でも何かと

「わ〜自分だったらそんなに頑張れないかも〜挫折するかも〜すご〜い」とか
「え〜私なら無理〜逃げる〜」とか
「あ〜私のときはこうだったわ〜」とかって

とにかく主語「私」から始まる返しをしてしまうことが多いなあと最近感じていて、
話しながら自分でも
「いや今は私の話じゃないから」
ってつっこんでたりするんですけど、癖はなかなか抜けません。

読書感想文なら自分の中に落とし込んで考えるのはいいと思うしし、ショーペンハウエル的にも正しい読み方・書き方だよなとも思うんですけどね。

「自意識過剰って思われるぅ〜!」とか
「俺の話を聞けぇ〜って思われてるぅ〜!」とか
「もう絶対自分から自分の話なんてしない…!」みたいに

過剰に気をつけたくなるんですけどまあ無理で3秒後にはTwitterに

「前年比+10kg」

とか書いてるんですよ、誰も聞いとらんわって。
どうでもいいですよ(だいたひかる)って。

それでも!私は!自分の話をしたいし全人類に愛されたいしこの世の人間はみんな私に789383562378305975489457283520パーセントの関心を持ってよって思ってます。
自己顕示欲とかそんな言葉で言い表せません。
そのくせプライベートなSNSのセキュリティはバチバチに固めがちなんですけどね。
だって嫌いない人とかいっぱいいるし。
敵も多いし。わかんないけど。

まあそんなわけでみんなも自分の話すればいいのにって思ってます。
「FacebookはLinkedInと同じくらいオフィシャルな場だよ」って気持ちも感覚もわかるんですけどそれでも私はFBのうっっっっっすい繋がりの誰かの長文だって読んでみたいし知らない人のお腹の中も覗きたいし、みんな書いてよ!

フォロワーの増やし方!とかじゃなくてさ。
ナイトプールとかディズニーとかイルミネーションとかサプライズプロポーズとかフラッシュモブとかの写真や動画ばっかじゃなくてさ。ちょっと羨ましいけどさ。

もっとこう、内臓かと勘違いするくらいのリアルなその人の中身を私は見たいわけですよ。
自分のは20%くらいしか見せたくないけど。
みんなぐちゃぐちゃで黒くて赤くてそばにいるだけで火傷しそうな、あるいは触れたら凍りそうな、そんな内臓を持ってるはずなのに。
それを書いてよ!!!!!
まあ眠いときとか気分が乗らないときは読まないけど。

という下北沢エンデのお話でした。

気分がのってきたので私の内臓を0.4%だけ、ぶちまけましたというわけです。

どうでもいいですよ(だいたひかる)

最近は免許合宿ぶりに車の運転をしています。
左ハンドル右車線デビューです。

どうでもいいですよ(だいたひかるリフレイン)

いいなと思ったら応援しよう!

下北沢エンデ🇩🇪
お読みくださりありがとうございます。とても嬉しいです。 いただいたサポートがじゅうぶん貯まったら日本に帰りたいです。

この記事が参加している募集