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うまれてはじめて学校が楽しいの

学校が楽しい



自分でも驚くけれど、学校が楽しくて、三ヶ月だけ申し込んだ語学学校があと二週間もしないうちに終わってしまうことがとても悲しい。


始まる前は朝起きられるかとか授業についていけるかとか友だちできるかとか、
不安しかなかったし無理なんじゃないかって諦めてさえいたけど、
なんだかんだで今のところほぼ無遅刻無欠席。


単純に、毎日あたらしい知識が増えるのは嬉しい。

いろんな国の人がいて、いろんな年齢で、いろんな格好をしていて、いろんな食べ物があって、みんなそれぞれだけど、だから、あんまり干渉とかしてこないし、そういうのも嬉しい。


ついていけなくなる恐怖はいまだにあるけど、
起きて着替えて電車に乗っちゃえば今のところ勝ちだった。
どんなに眠くても、授業はアクティブだから眠ってる暇とかないし、
なんかみんなギャンギャン喋りかけてくるし、
知らなかった知識が自分の中に入ってくるのは大きな喜びだから、ちゃんと宿題もできてる。

ラテンのノリとか隙あらば口説こうとする中東の男たちとか、
音量的な意味で声の大きい人たちのことは「うざーい!」と思ったりもするけど、
学校、なんだかんだで楽しい。



あんなに学校に行けなかった大学時代はなんだったのだろう。

友だちを作ろうとしなかったのが悪い気もするし、
とはいえ仲良くしてくれる子がいる授業でももうただただつらかった。

学校に行けなかったというのは正確ではなくて、正しくは授業に出られなかった。
もっと言えば、教室にいられなかった。

学校まではだいたい毎日、ほんとうに毎日、行っていた。

親と顔を合わせたくなくて黙って自分の部屋でMILKのワンピースに着がえて、
誰にも殺されないように緑や紫のアイラインをひいて、
泣きそうにパスモを握りしめ改札をぬけて、
渋谷の谷底で電車を乗り換えて、
波に飲まれながら駅から学校までの道のりを歩いた。

なんとか教室についても、ぜんぜん座っていられなかった。
人がいっぱいいて、話し声がいっぱいで、匂いも色もいっぱいで、よくわかんないけどいつも無理だった。
出席とるまでいられれば及第点って感じで、半分も聞いていられたら御の字だった。
最後まで留まっていられたことなんて、数える程しかない。

それで授業を抜け出してどこにいたかって、だいたい保健室だ。
大学に保健室なんてあるの?ってたまに聞かれるけど、普通にある。
ベッドがあって、ケアしてくれる人たちがいて、そこそこ静かで真っ白で安心できた。

ここでならわたしはちゃんとひとりだし、潰されそうになることもないし、眠っていても黙っていても誰にも邪魔されない。変だなんて言われない。

だから毎日のように保健室にいた。

リスパダールを飲んでぼうっとして、そのまま二時間くらい眠ればいろんなことがどうでもよくなった。

空いている教室に行くこともあった。
椅子をみっつ繋げて眠っていると心臓が回復したけれど、知らない人が入ってくるとすぐに苦しくなった。

坐禅堂のある建物内に休憩室みたいなのがあったから、そこにもしょっちゅう行った。
毛布をかぶって泣いて、なんでこんなに苦しいんだろうってODした。
救急車を呼ばれて、友だちの手に向かって吐いたらしい。記憶にない。
彼女の腕は今まで見たなかでも一二を争うひどいバイオリン具合だった。
元気にしているだろうか。


家に帰りたくないからバイトをした。
学校よりは行けたけれど、しょっちゅうしゃがみこんで泣いた。
冷凍庫の中で動けなくなったこともあった。

いつも渋谷の谷底に飲み込まれそうだった。
飲み込まれたかった。飲み込まれなかった。
渋谷はわたしを受け入れなかった。



小学校は入学から一ヶ月で行きたくないって教師を困らせたし、廊下を徘徊して視聴覚室で寝た。
中学では全部の授業で寝たし教室を飛び出した。
高校は行ってない。


そんな私が学校を楽しめているなんて、驚き以外のなにものでもない。


だから、あーあ、みんなと毎日会うのがあとちょっとなんて、寂しい。
寂しいけど、終わりがあるから楽しいね。

二ヶ月くらい休憩したらまた通おうかなって思うけど、まだぜんぜんわかんないや。

どこで何して生きていけばいいんだろう

仕事も資格もお金も愛も家も家族も後ろ盾も学歴も職歴も才能もやる気も人望もないけど死ねない人間の受け皿、どこかにありませんか?

Reweでサンマみたいなの見つけたよ。

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下北沢エンデ🇩🇪
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