心を置いてきた場所
その人にとっては既に「過去」である記憶が、
別の人にとってはバリバリ現在進行形の「今」であったりする。
議論や説得が両者交わらず不毛なまま宙に浮く原因の多くは、そのためである。
そもそも見ている「時」が違うから、まずはそこから調整するべきである。
みんなが“今”を生きていると思ったら大間違いという訳だ。
時間は平等だが、心を置いてきた場所から時計の針が止まっている人も多い。
そこに留まることを望んでいる人もいれば、苦しんでいる人もいる。
そもそも心を遠い昔に置いてきてしまったことに気付いていない人もいる。
或いは気付いているのに気付いていないフリをしている人もいる。実に様々だ。
そのことを互いに理解しない限り、正しい対話は出来ない。
僕はそう思う。