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「はかない」の正しい使われ方


「世界の終わりという名の雑貨店」
(「ミシン」収録)嶽本野ばら

 新しい本ではないのになぜか本屋で平積みされており、シンプルなタイトルと冬の青空みたいな一色に塗られた表紙に惹かれてしまい、絶対に必要な本だと思ったので購入しました。映画を観に行く予定だったので、映画館の近くのカフェで読み始めたものの、読み終わった頃には「この読後感を抱きしめておくために映画は別日にした方が良いかもしれない」と本気で考えてしまう内容でした。

 すごい小説を読んでいると、すごい小説に出会ってしまった、という感覚が一文を追うごとにやって来るので大変です。疲れます。最近読んだ「ミシン」は間違いなくそれに当てはまる小説でした。
 「ミシン」は表題作「ミシン」の前に「世界の終わりという名の雑貨店」が収録されている中編がふたつ入った文庫本です。私が大騒ぎした方は「世界の終わりという名の雑貨店」です。「ミシン」についても大騒ぎしたいところなのですが、長くなりすぎると思うので割愛します。
 私は「短編や中編がいくつか入った本は、どこで話が終わるか分からないところを楽しむために目次のページ数を確認せずに読む」と決めているので、「ミシン」に辿り着くまでの間いつこの話が終わるのか不安で仕方ありませんでした。映画や漫画でも同じことが言えるかもしれないけれど、小説は私の元にやってきた時点で既に書かれたものであり一文字たりとも変化しないのに、そういう感じがしないからすごいです。

 "ねえ、君。雪が降っていますよ。世界の終わりから出発した僕達は、一体、何処に向かおうとしていたのでしょうね。"

「世界の終わりという名の雑貨店」の書き出しです。この一文を読んだ瞬間に、はっきり雪の降る様子が見えるから不思議でした。寒すぎて鼻や耳が痛くなる感覚とか、雪の冷たさとか、喋りたくないくらい風が冷たいこととか、妙に静かなこととか、そういう「冬」の美しさが表されているような一文です。映画を見る前だったのでカフェインを避けた結果バカ高値段のホットミルクを飲む羽目になったのですが、紅茶よりもコーヒーよりもホットミルクの持つ優しさがこの話に似合うような気さえしました。この書き出しの凄さをどんなふうに表現したらいいか分からず、すごいすごいと凄さに嘆くことしかできません。無力。

 この小説は、孤独な「僕」と心に病を持つ少女である「君」が出会い、世界から逃げ出すように、ふたりが出会った事実とそこだけにあるものを守るように逃避行に出る物語です。実際のあらすじには「はかない逃避行」と表現されています。ぴったりだと思います。できれば本というのはあらすじだけ、せめてネタバレのない感想だけを読んで臨むべきだと思っているのでネタバレのようなことは一切かきません。つまりこれはすごいすごいと騒ぐだけの感想文です……

 終わらないで欲しい、と願うのと同じように、どうかこのふたりの逃避行の結末が知りたい、という願いがありました。それが世間一般の幸福とはかけ離れている予感があったし、その予想が覆されるような予感もありました。雪が降っていますよ。から始まるこの話は、相手へと語りかけるように進んでいきます。この形式を崩さずに成り立っているのはすごい。私は書ける気がしません。なぜなら、語りかけるということは白状することと同じだからです。この青年は、少女に対してすべてを曝け出すことができる人で、だからこの話が成り立っているんだなと思います。とにかくすてきな書き出しです。昨日また読み直したのですが、偶然雪が降っていたので嬉しかったです。読み終わった時、最後まで繋がる書き出しだと感じました。最初に美しいと思ったこの文が回収されていくような終わり方はぞっとするような気分の良さを残しました。別に仕掛けがあるようなミステリーでもなんでもないのですが、全編通して雪が降っているような小説に出会ったのは初めてです。

 書き出しの凄さの話しかしていませんが、好きな文を抜き出して終わります。

「君が日々の過酷な戦いに力尽きたとして、誰が君を責められましょう。よくぞここまで戦い抜いたと感嘆こそすれ、敗北を嘲笑できるものなどいない筈です。それなのに、嗚呼、健気なる戦士よ。僕は君のように勇気を持って世界と対峙することをしなかったのです。」


追記

 性的なシーン(それを狙いとした描写には見えませんが)があり、1回目に読んだときはこれでいいんだろうか?と思いました。あと、雪の降り続けるような美しい文章とふたりの関係性に反して現実はひどく無情です。耐えられないかもしれないと思いましたが、こんな世界だから出会ったふたりなんだと思うとなんとか読めました。でも、何度も読むにつれてこのふたりだからこうなったんだな、と思ったし、別にふたりともただのいい人ではないからこうなるべくしてなったんだろうなと納得しました。なんでこの追記を書いたかと言うと、私が最初に知っていたら心のダメージを減らせたかな、と思ったからです。セックスシーンに他の人がどんなダメージを受けるのかわかりませんが……ここにある程度納得できてしまったので、わたしは最強になってしまいました。「世界の終わりという名の雑貨店」が心の底から好きだと宣言できるようになったので、最強になってしまったのです。

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