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vol29 なぜ現代は個性を重視するのか

昨日「個性を重要視することに意味はない」と書きました。
なぜなら、個性は社会や他者との関係の中で生まれるためです。
そもそも相対的な存在を過度に重要視することに意味はないだろうと。

ただ、これを考えると、一つ疑問が出てきます。

個性は社会や他者との関係の中で生まれるという考え方はしっくりくる。ただ、もしそうなら「個性」というものがどうしてこれほどまでに重要視されるようになったのか?

という問いです。

これに対して考えられるのは、そもそも現代社会が個人主義に偏ってきている側面があるからでしょう。たとえば、デジタル社会の発展、いわゆるSNSの普及で個人を前面に出す機会が増えました。その結果、個性が押し出されるように重要になったとも考えられます。

もしこれが原因だと考えるならば、個性を重視する行為は一種の適応反応とも言えます。個性を重視しようと意図している訳ではなく、無意識的に個性を重視せざるを得ない社会になってきているとは考えられないでしょうか。部屋が暑くなると服を脱ぎ、クーラーをつけるように、SNSが普及したことで、個性を強調せざるを得ないのです。

そう考えると、個性を重視することにも多少の意味は生まれます。本当の姿か否かは置いといて、SNSには輝かしく個性を発揮している人がたくさんいます。キラキラと美味しそうなご飯を食べ、さわやかな夕日や夜景をアップする。世間一般でいう幸せなシーンのみ切り取った世界が、SNSの中には存在するのです。

そして、そのSNS社会から完全に離れることは現実的ではありません。見ないようにすることはできても、関わらないのは難しいでしょう。僕たちはそんな、他人の幸せな部分を見ながら生きていくしかない社会に住んでいます。

厄介な事に人間には嫉妬心があります。そしてその嫉妬心は欲望と現状のギャップから生まれるものです。おしゃれなレストランで食事したいという欲望に対し、コンビニで食事を済ましてる現状から、他人に嫉妬します。そんな嫉妬心に捕らわれ続け、放置できるほど、人間は強くありません。そこで反射的に生まれる防衛手段が「個性重視」なのでしょう。

分からなくはありませんよね。この個性重視は言い換えると「私だって、もっと○○したい!」という欲望から生まれているのですから。この欲望は誰でも持っているものです。

ただ、やはり個性重視は抜本的な解決にはなっていないように思います。ここでの問題は欲望と現状のギャップから嫉妬心が生まれていることです。個性を重視するのは、現状をより欲望の状態に近づけようとする行為です。人間の欲望に限界はありません。現状が欲望に追いつくことはない、絶対に先頭の走者を抜かせないと決まっているマラソンのようなものです。

そんなマラソン、一位を目指す時点で敗北は決定しています。個性を重視することは、このマラソンで一位を目指すことに近い。ハナからムリゲーなのです。

ではどうするか、素直に現状を受け入れるしかないでしょう。もっと言うと、現状に有難みを感じる他にない。個性重視は現状を欲望に寄せる行為だとすると、現状を受け入れるのは欲望に現状へ降りてきてもらう行為です。

毎日コンビニ弁当を食べている自分を受け入れる。
毎日上司に叱られる自分を受け入れる。
毎日満員電車に揺られる自分を受け入れる。

では、受け入れるためにはどうしたらいいか?それは、本当の欲望を見つけることです。いまあなたが感じている欲望は偽物と考える。SNS、他者から植え付けられた仮の欲望です。本当の欲望は別に存在します、自分の心に「ほんまにおしゃれなレストランで飯を食いたいのか?」と聞いてみる。本当に食べたいならいいです。そうでないなら、これまでよりは現状を受け入れ、身の丈にあった欲望を持てるでしょう。

しかし、現代はSNSにより欲望を刺激される社会です。そのため、完璧に離れずとも、距離の保ち方は学ぶべきでしょう。何より、SNSで見えてる世界は世間一般の幸せを切り取った世界であり、虚像であることを認識することが第一歩だと僕は思います。

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