見出し画像

悪魔

僕の実家は、平屋。築50年の古い家。玄関を入ると、一直線に廊下。座敷と仏間を通り過ぎ、一番奥にあるのが僕の部屋。便所は真逆。最も離れた所にある。

今夜も、その時は突然訪れた。

僕はベッドに寝そべり、肘を立てながら、今週の「ピューと吹く!ジャガー」を読んでいる。面白い。余りに面白い。急展開する裏切りに、のけ反りながら笑った。しばらく腹を押さえた後、本に視線を戻す。

その瞬間、視界の端に、蠢く気配を感じ、壁に目線を送る。

奴だ。

「カマドウマ」。通称「便所コオロギ」。

東北地方には「G」が出ない。ポケモンにおける「キャタピー」と「ビードル」の様に、代わり「奴ら」が沸いて出る。

僕は瞬間的に起き上がる。片膝立ち、足軽兵のポーズ。この体、こんなにも素早く起き上がれたのかと、自分で驚く。

しばらく硬直する。奴も、突如動き出す大きな物体に、呆気を取られているのか、微動だにしなくなる。僕は冷静になる。僕にできる事は限られている。まずは、部屋から追い出す事だ。



Gは、正式名称を口に出すのも躊躇われ、どこぞの枢機卿のように恐れられているが、僕にとっては、なんて事はなかった。それは、恐怖心が植え付けられて無いからだ。東京に出て来てから、戦々恐々とする人を沢山見た。冷めた目で。正直、ただの角のないカブトムシ、もしくは、鋏の無いクワガタに見えている。

その代わり、奴らにはとてつもない「嫌悪感」と「恐怖心」を抱く。奴らの皮膚は硬く、縞模様。長い後ろ足を携え、土壁を這うように、音もなく現れる。おぞましい姿。僕にとって、この「カマドウマ」が最強最悪の悪魔なのだ。

奴らの危険性は、その「跳躍力」にあると言える。調べると、あまりの勢いに、壁にぶつかり死ぬ事さえあるという。飛ぶなよ馬鹿か、と思う。

奴らは、毒をもってる訳でも、人に害を与える訳でも無い。ただ不気味で、ただ不快。しかし、便所のコオロギだ。不衛生なのは確定している。それが死ぬ勢いで飛んでくる。危険生物である。

Gが怖くない理由の一つは、ココにも含まれている。彼らは、跳ねない。移動方法は、飛ぶ、這う、蠢く。その行動は、予測が立つのだ。突如の方向転換はあるにしても、あくまで、直線及び放物線上の動き。スピードも、たかが知れている。右か左に避ければ良い。多少なりとも太ももに筋肉がついていれば、向かって来られても、なんら問題はない。

が、コイツは違う。


僕は、奴が警戒しない様に、最新の注意を払い、静かに扉を開いた。

ギイ。

奴は、まだ動いていない。扉を開けただけで出てくれる程、親切なら困りはしない。僕は知っている。奴は、こちらを見ている。ここで焦って、棒など細い武器で払ってしまうと、跳躍の範囲が限定されない。すなわち、どこに飛ぶかわからない。

奴の危険性はこれだ。ノーモーションで360°、どこへでも飛ぶ。そのトップスピードは、目にも見えない。人間の大きさに換算すると、50階建てビルの高さまでジャンプするという。

もしここで、部屋の内側方向に跳ぼうものなら、机の裏、ベッドの下に潜り込まれる。それは終わりを意味する。2度と、この部屋で、ピューと吹く!ジャガーが読めない。僕はそれを知っている。大切なのは、奴の行動範囲を狭め、部屋から廊下に追い出す事。僕は、シングルサイズのタオルケットをゆっくりと広げ、静かに近づき、動きの範囲を限定させていく。

バッ!

タオルケットで、行く手を阻む。これで奴が動ける範囲は、扉の外しかない。第一関門、突破。しかし、タオルケットが大きい為、裏でどうなっているのかが見えない。一体どうなったのだろうか。先ほど、小さい「パツン」という音と、微かな衝撃を感じた気がする。まさかと思い、恐る恐るタオルケットの裏を覗く。

「ィヤッ!」

余りの怖さに、夜道に変態を見た女子の声が出た。

奴は、タオルケットの裏側に張り付いている。その姿、月曜19時、フレンドパーク。まずい。落ち着け。深呼吸しろ。とにかく、奴を部屋から出そう。残念だが、このタオルケットはもう使えない。薄くて軽い為、気に入っていたが背に腹は変えられない。部屋の外に、タオルケット毎、奴を放り投げる。そして、即座に扉を閉める。

「ふう」

扉に背中を付け、息を吐いた。まず、この部屋は守られた。あとは、奴をどうするか。残念ながらこの時間、家には誰もいない。本当ならばっちゃんを呼びたい。あの人は逞しすぎる。全ての生物に臆さない。歳を重ねれば、皆ああなれるのか?疑わしいほど、屈強な心を持っている。しかし、ばっちゃんはいない。自分でどうにかするしかない。

もし、このまま駆除もせず、タオルケットごと、放置してしまえば、僕は部屋に監禁状態になり、3日目くらいに餓死する。それが出来たらいくらか楽か、とも考えた。しかし、そうもいかないのが現実。戦うしかない。

どうする。今、何も考えず、部屋の扉を開けてしまうと、奴がこちらを狙っている可能性が考えられる。易々と開けるわけにはいかない。「裏から回ろう」僕は、部屋の窓をあけ、靴も履かずに、外に出た。砂利と土の上を裸足で小走りし、玄関から回る。ここが人間と虫畜生の頭脳の差である。まさか僕が、背後から回ってくるとは思ってもないだろう。平伏せ、馬鹿が。玄関から家に入り、抜き足で廊下を進む。

さて何処にいる。もしかしたら、タオルケットから既に出ている可能性も考えられる。天井、壁、隈なく探す。念の為、縁側のカーテンも調べておこう。

「んやっ」

居るという可能性を踏まえて、スカートめくりのような態度でカーテンを振り払う。緊張からか、スカートめくりされた側の声が出る。でも、家には誰もいない。問題ない。

カーテンにはいないようだ。見渡す限り、天井にも壁にも、姿はない。となると、間違いない。まだタオルケットの中にいる。

ああ、このままタオルケットを踏んづけたい。こねるうどんの様に、隙間なく踏み潰したい。確実に仕留めれる。しかし、出来ない。タオルケットの中で平たくなる奴を想像するのが容易い。それは余りにも気持ち悪いし、タオルケットが使えなくなるし、流石に同情する。

「 はぁ。」

僕は、ため息を1度吐く。そして息を止め、親指と人差し指でタオルケットの端を摘む。小指が立っている。ああ、怖い。もし、持ち上げた瞬間、タオルケットの隙間から、こちらに突進でもしてきたら、気を失う。

「ブンブン」と首をふり、恐怖を払う。よし、行く。5秒カウントしたら行く。よし、いいか、おれ、行くぞ。ふう。…5、…4、…3、…2、…1、ダメだやっぱ無理だ。

ダメだ、一旦落ち着こう。こんな時は、別のことを考えよう。そうだ、終わったら、チキンラーメンを食べよう。先週買っておいた。茹でてラーメンにするか、そのまま齧るか。迷うところではある。ただ、丸齧りだと、気が狂う程しょっぱい。飲み物はどうする。冷蔵庫にばっちゃんが作った紫蘇ジュースがあるな。行けるな。

その時、奴が上から落ちてきた。

「マア!」

驚いた。出した事のない種類の悲鳴が出た。

これだからコイツは嫌いなんだ。

僕は後退りし、奴から距離を取る。この距離は流石に飛んでこれない。間合いは知っている。奴は、手放したタオルケットの上に鎮座している。体を横に向けている。どうしたものか。

確か、殺虫剤が切れている。先週のカマドウマに全部使った。何かないか。何か奴に掛けるものはないか。目を離す訳にもいかない。手探りできる範囲に何か。玄関の棚に何かないか。お、これならどうだ。靴用のファブリーズだ。親父の臭い靴にかける用の液体。これならいけるんじゃないか。

僕は、親父の靴用のファブリーズの引き金に指を掛け、エイムを奴に合わせる。そして、差し足で近づく。

ん?タオルケットの上にいない。どこだ、良かった、居た。壁を登り始めている。これは今、またと無いチャンスではないか?今なら、タオルケットを救出できる。銃口は奴に向けたまま、目線も逸らしてない。右足のみゆっくり屈伸させる。左足は玄関側に伸ばしている。逃げ道も確保。発射準備も整っている。右足に物凄い負荷が掛かっている。

今だ!

僕は、タオルケットの救出に成功した。再度、奴から距離をとり、玄関近くでタオルケットの状況を確認する。大丈夫だ。2匹目は居なそうだ。でも、このタオルケットどうするか。洗おう。丁寧に洗おう。いやいや、まず、今はそれどころじゃない。奴をどうにかしないと。

僕はもう一度、親父の靴用のファブリーズの引き金に指を掛け、エイムを奴に合わせる。そして、忍足で近づく。

奴の場所は変わっていない。壁にいる。止まっている。なんだ?やけに落ち着いているな。まさか、タオルケットと外気の温度差に、整ってるとでもいうのか?今、邪念が無いのか?いやいや、余計な考えは振り払え。気を抜くな。奴は、いつでもこちらの首を狙っている。空気に飲み込まれるな。

壁の中腹で、止まっている。

決心しろ、今、殺るしかない。このチャンスを逃してみろ。もうピューと吹く!ジャガーの続きは読めないぞ。

ふう。

深く息を吐く。体内に滞留した空気を抜き切る。体内の感覚が、吐き出した空気と共に「下へ下へ」とさがって行く。交直した体が緩むのが分かる。そして、また、息を吸う。部分的に筋肉が膨らんで行く。

よし、奴はまだ壁にいる。引き金は、問題ない。照準は、ズレていない。やる。俺ならできる。覚悟を決めろ。一撃で、仕留めれる。

呼吸を整えて、静かに、空気を支配する。音が消える。

今だ!

親父の靴用のファブリーズの引き金を、一心不乱に握る。何度も握る。引き金を引く。


シュコシュコシュコシュコ。

掛けていく。ファブリーズを掛けて行く。カマドウマの硬い殻と、深緑の土壁が濡れていく。

シュコシュコシュコシュコ。

なんとなく粘性のある液体か。どうだ?行けてるのか?奴は特に怯む様子は無い。まだ足りないか。次第に、部屋が良い匂いになって行く。奴は、動かない。舐められている気がする。

シュコシュコシュコシュコ。

どうしよう。効いてないのか?不安になる。なんとなくだが、良い匂いの液体だ、体に害はあると思うのだが。さすがに、大量に摂取したら毒な気がするのだが。やっぱりダメなのか。ああ、腕がしんどくなってきた。でもやめるな、おれにはコレしかない。手を止めるな。

シュコシュコシュコシュコ。

奴は、僕が気を抜いた瞬間を見逃さない。いい匂いをさせるだけの僕を嘲笑うかの様に、壁に止まっているだけの奴が、ノーモーションで、顔に向かって飛んできた。


ブンッ…


目の前の映像が切れた。



#エッセイ部門
#創作大賞2024

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?