
”今の私”が鏡のように見えてくる小説「ようこそ、ヒュナム洞書店へ」
「ようこそ、ヒュナム洞書店へ」。
育休中の私はこの本を買った。kindleでなくってあえて本屋で本を買った。
まだ文庫本にもなっていないから大きなサイズのそれを持ち歩いて、平日に子どもを連れてカフェに入り、ちょっとずつ読み進めた。
この本を読んでいると、小説を読んでいるはずなのに、どこか空の上から、いろんな人の人生を覗き見しているような気分になった。
それぞれの苦悩や未来があって、それが交差する。
深い海のように、鋭い洞察力とどっしりとした人生の価値観が、
本には隠されていた。
もう一度、自分に問いかける時間になった。
今、子どもが生まれてある意味人生の新たなステージにいる私に、ピッタリの一冊だった。
気になったフレーズがありすぎて、それをまとめてみた。
「うちの実家の家族って、なんかあるとポップコーンが弾けるみたいにもう大騒ぎするの」という可愛らしくてお茶目なフレーズとか「ちゃんと生きるっていうのは、ちゃんと整理しながら生きることだ。」とストレートに人生を問う言葉とか、グサグサ刺さるフレーズまみれの本だった。
1. 物語「ようこそ、ヒュナム洞書店へ」って?
韓国の小さな町、ヒュナム洞にある書店を舞台にした心温まる物語「ようこそ、ヒュナム洞書店へ」。この作品は、本を愛する人々の人生が交錯する中で、書店という空間が持つ魔法のような力を描いてた。
「ようこそ、ヒュナム洞書店へ」は、現代社会で失われつつある本と人とのつながり、書店という場所が持つコミュニティの意義についても考えさせられる一冊。個々の登場人物が抱える物語が繊細に描かれ、それぞれが本を通じて成長していく姿が読者の心に響いた。
本好きな方だけでなく、自分の人生を振り返るタイミングにいたり、
人とのつながりに関心がある方にもおすすめの一冊でした。
2. 私の心にグサグサ来たフレーズたち
今の私に刺さったフレーズをまとめてみる。
それはあくまで「今」の私に刺さったフレーズだから、
もちろんこの本を読む皆さんそれぞれで違うだろうし、
私だって1ヶ月後に読めばまた違うことを感じるのかもしれない。
ーある対象に関心を寄せていれば、自分自身を見つめるようになる
「ミンジュンはうっすらと感じていた。ある対象に関心を寄せていれば、やがては自分自身を見つめるようになるのだろう。」
若い青年ミンジュン。自身の進路に悩んでいる青年。
これまで韓国の詰め込み教育で忙しく生きてきた青年に時間の余裕ができ、映画をじっくり見てそれについて考えたりした。
そうやって、ある1つのことに集中して時間を割けば、それはやがて「自分自身を見つめること」と等しくなる。
ーどんな展望もほんの些細なことから始まり、それがすべてを変える。
「どんな展望もほんの些細なことから始まるの。そしてついには、それがすべてを変える。たとえば、毎朝あなたが飲むリンゴジュースとかね。」
ツラく苦しい時間を過ごしていても。「それにもかかわらず」生きていく。純真な希望やなまじっかの希望ではない。最後の条件としての希望。
ー家族はべったりしすぎても良くない。
「家族はべったりしすぎても良くない。ある程度距離を置くのが良い。とりあえずその考えを抱いて、生きてみる。」
家族だってそれぞれ別の人格を持ち、夫なんて全く違う環境と価値観の元で育った別の人間なんだから。ある程度距離を置いて生きていく。
子どもだってそう。別の人間なんだから。尊重する。
ーラテパパの愉快な生き方
ラテパパとは、北欧によくいるパパたちらしい。会社から早く帰ってきて、子どもの世話をしながらカフェラテを飲むその姿から、ラテパパと呼ばれるのだとか。
ラテパパとは:ベビーカーを押しながらカフェラテを飲んでいる父親を指す言葉です。スウェーデンでは男女平等が進んでいる国で、父親も子育てや家事をするのが普通であるため、このような風景がよく見られます。
ー無力感。所在なさ。空虚感。
「無力感。所在なさ。空虚感。一度はまったら抜け出せない心理状態。涸れて井戸に落ちて、うずくまっているような気分のはず。自分がこの世で一番無意味な存在に思える。」
本を読んでみれば、どの著者も一度は井戸に落ちたことがある。
最近這い上がってきたばかりの人も、ずいぶん昔に落ちた人もいる。
みんな同じことを言っている。どうせまた井戸に落ちることになる。
だからそんなに気にしない、そう思える。
ー幸福と幸福感を区別する
「幸福」は一生かけて実現するもの。最後の幸福のために一生涯を人質にするなら、日々の「幸福感」を求めて生きる。
一生涯かけて画家になりたいと思ったら、死ぬ時に画家になっていれば幸福。だけどそれまでの道のりの幸福感には気付けないかもしれない。
今日コーヒーを飲んで幸福感があった、その積み重ねで感じる幸福感の方が私にも合っている気がする。
ー待望の最後の人生は、二つのうち自分に合っていたと思う生き方をする
「一度目は、ただ流れに身を任せて生きてみる。次は、夢を追って生きる。
で、待望の最後の人生は、その二つのうち自分に合っていたと思う生き方をする。」
たしかに。私はどうだろう。最近は割と流れに身を任せて生きてみたかもしれない。
だけどもっと若い頃は、夢というほどたいそうなものではなかったけど、割とそういう生き方だったかもしれない。
どちらが合っていたか?流れに身を任せる方が合っている。
ーそれはもちろん、良多にとって初めての人生だから
「良多があんなにも生きることに不器用な理由。それはもちろん、良多にとって初めての人生だからだろう。」
是枝監督の映画「海よりもまだ深く」が少し紹介されていた。登場人物の良多についてのフレーズだ。
私も、これが私にとって初めての人生。
仕事をするのも、母になったのも、子どもと向き合うのも。当たり前だけど新たな気づき。
だからこそ私たちはどんなふうに人生が終わるのかも、5分後に何が起こるのかも知らない。
当たり前だけど、ハッとする新たな気づきだった。
ーちゃんと生きるっていうのは、ちゃんと整理しながら生きること
抱えてはいけないものを抱えて生きない。後悔しそうだから、不安だから、という理由で整理しないままやり過ごすことはしない。
離婚とか別れとか、そういう人生の断捨離も時には必要なのだ。
ー非論理的でも、心が応援してくれた選択
本を読んで決心することがある。
その主人公が「こうすれば良いよ」と自分い教えてくれているような気がすることがある。
私にもそういうことがある。
論理的に見えないけれど揺るがない決断は、信じて良い。
ー1日を豊かに過ごすことは、人生を豊かに過ごすこと
昨日とおおむね変わらない1日だったとしても、よく食べ、眠り、おしゃべりして。
子どもと戯れて、夫とご飯を食べて、お風呂に浸かり、本を読み、コーヒーを飲み、眠る。
そんな豊かに、よく手入れされた1日を過ごすことは、豊かな人生を過ごすことだ。
ー不安や焦りが消えたその瞬間には、実はけっこう気に入っていたりもする
「不安や焦りが消えたその瞬間には、これまで最善を尽くしてここまでやってきた自分がただただ誇らしく見え、実はけっこう気に入っていたりもする。」
毎日ではなくても、しょっちゅうでなくても、自分たちの人生が「これでいい」のだと気づく瞬間が私たちにも訪れる。
3. 「ようこそ、ヒュナム洞書店へ」が人気な理由
この物語は、現代社会で失われつつある本と人のつながりはもちろん、
なんだかリアリティーショーを見ているかのような、
決して着飾っているわけではない人たちの、日々の葛藤だとか
日常のちょっとした会話だとかが、重い人生の決断だとかが
軽快に描かれている。
この本に登場する人は、進路に迷う青年、夫婦関係に悩む中年女性、離婚した夫の呪縛に悩む女性、仕事で独立して試行錯誤する本屋の店長、恋に悩む中年男性、子どもとの関わり方に悩む母親…
人生のさまざまな帰路に立たされた人たちが描かれていて
きっとその誰かに自分を重ねることができると思う。
本好きな方や、忙しい日常の中で立ち止まって自分を見つめ直したい方にぴったりの一冊。
コーヒーを片手に読むと、スッと心が軽くなる一冊。