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指導案の代わりにルーブリックを作る
指導案を作る。せっかく作るなら大作にする。
そんな思いだったのですが、とある方からご指摘をもらいました。
「指導者の付けたい力が明確すぎる。」
いわゆるレールを敷きすぎているということですね。
特に評価については、子どもと共有できていない。
授業が教師のものになってしまっていると。まさにその通りだ!
指導案の形にまとめること自体、もう古いのかもしれないと思いました。
長すぎて書いた人以外はあまり読まない
伝わりづらい
書いてあることをまねしづらい
教科書カバー、教師が教えるためのシナリオになっている
つまらない
評価を考えるのが、後回しになっているため、指導と評価が分断される
評価は、ラテン語で、「となりに座る」という意味だそうだ。評価のそもそもの本質は隣に座って、子どもと対話することだ。教えて、テストして、それで評価するという今の日本の教室の評価のシステムでは、評価した風になっているだけだってことなんだと思う。自分もそうだ。
指導案の代わりになるものとして可能性を感じているものがあります。それが、「ルーブリック」だ。指導案を書かずに、ルーブリックを作る。それだけ。今まで指導案をびっしり作っていた私にとっては、本当にそれだけでいいの?という疑問もある。
「ルーブリック」を作ると、指導計画が浮かび上がってくる。子どもが何をして、どんな力をつけてもらいたいかが明確になる。子どもも分かるような内容にするため、もしくは、「共創するため」、教師も子どもも同じ立場で、そのルーブリックを一緒に見る。つまり、学びが教師だけのものにならないということだ。評価=総括的評価ではなく、形成的評価をより重視することで、子どもたちの成長に直結する評価になる。
ルーブリックとは
「聞くことから始めよう」(さくら社)を読んで学んでいます。
こういったパフォーマンス(児童がなにかをする行為)をすれば、成果が出やすい。ということを示している。
パフォーマンスを判定するものではなく、説明するもの。
子どものための学習ツールにもなる。(子どもにもわかるように書く)積極的な学習者としての自己認識と自信を深めるために言葉を使う。
教師が子どもを判定する基準ではなく、子どもと教師が学習ツールとして使うもの。今自分がどこらへんにいて、どこを目指せばいいかのヒントになる。
常に変更修正を加えていく。
「ビギナー」には、強味を活かす言葉を使う。
「マスター」は実現可能なレベルにする。
「超える」は使わない。
定量的な表現を避ける。
「すべて」「みんな」「つねに」「けってし~ない」を使わない。
それぞれの基準に変数は一つまで。
同じ行には、同じ特性のことをかく。(正確さと深さを同時に扱う×)
全員がマスターを目指すわけじゃない。
ためしに3学期にある図工で、学年の先生と一緒に作ってみた。
初めて作ったので、ツッコミどころ満載かもしれない。
しかし、私は「さらけ出し」スタイルなので。
色々な意見をもらい、改善していってみます。
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これを黒板に貼って、一緒にみながら、図工の授業をしたらどうだろう?
算数はこちら。
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以上、エンチャントでした。