普通はこうやる → 私はこうやる
1.与えられるのを待つ教師と子ども
教師は与えられた枠組みの中で、努力したり工夫をしたりすることが多い。これは自分たちが受けてきた学校教育に起源があると思う。今の教師が受けてきた教育は「みんな一緒に同じレベルでできるようになりましょう!」という教育だ。それが影響して、今の時代に合わないスタイルのまま授業・学級経営をしてしまう。職員室と教室は入れ子構造なので、それが子どもにも伝わる。そうなると、教師は子どもにどんどん与え、子どもは与えられないと動き出せなくなるという構図だ。どんどん与えようとするから、余白がなくなり、結果的に0→1で動きだす教師・子どもがいなくなる。これが今の公教育だと思います。
2.納得していないのにやる
1のような状況下では、指示されたこと、与えられた型でやることが多くなる。自分で決定していないが、言われたからやると、どんな素晴らしい型も形骸化する。これは教師も子ども同じだ。もちろん、型を知ることには意味があることは前提としておきます。
自分で考えて思いついたこと、価値があるなと思って動き出したこと・生み出したことにこそ、意味があると思います。そうしないと反省もない。自分で考えて、やりたい・発信したいというところまでいかないとアクションしたと言えないのではないかと考えます。
3.自分の頭で考えて、枠組みごと自分で作る
枠の中で頑張っていても限界が来る。枠の中でちょろちょろやって、お茶を濁すのはもうやめましょうと言いたい。誰かが作った枠は、次の世代に引き継がれる。枠組みを支えるマインドが、次第に薄まり、いつしか枠組みだけが残る。マインドが消えた枠組みを与えられた人は、何も考えずに枠組みの中で頑張るため、その枠組みは形骸化して廃れる。
その例はいくらでもあげることができる
例えば、指導案・研究授業・研究協議・研究発表。今まで見てきたそれらを真似しようと思うから、形骸化する。それぞれ、どのような物にするかを自分のやりたいことと照らし合わせて作りあげないと、中身が伴わないものになる。
他にもクラブ活動もそうだ。子どもの主体的な活動の結晶のようなクラブもなぜだか子どもが受け身で参加している事例を多くみる。クラブという枠組みがあり、その価値をあまり考えないまま、ただ学校ごとの慣例にそって企画・提案・運営するから、大事な部分が抜け落ちる。
その枠組み自体から考えないといけない。
4.ドナルドショーン(反省的実践家)の組織学習
シングルループ学習(Single-Loop Learning)とは、現在の行動や戦略を変えずに、結果を改善するために調整を行う学習のこと。問題が発生すると、それに対処するためにルールや手順を微調整する。基本的な前提や信念は見直されない。日常的な問題解決に適しているが、根本的な変化にはつながらない。
ダブルループ学習(Double-Loop Learning)とは、現在の行動だけでなく、それを支える前提や信念自体を問い直し、変革を試みる学習。より深いレベルでの自己反省と変化を伴う。問題の根本原因を見つけ、それに応じて行動や信念を変える。
5.ダブルループ学習をする教師・子ども
これを増やさないといけない。与えられたものを疑わずにやっていては、いつか限界がくる。まずは、教師(自分)から変わらないといけない。今自分が当たり前にやっていることを疑うべきだ。思考停止した担任のクラスの子は、思考停止するに決まっている。
以上、エンチャントでした。