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実在したブッダの生涯

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このnoteでは、実在したブッダの生涯を簡単に説明します。

■ブッダの幼少期
「樹下観耕」(じゅかかんこう)のエピソード(土からでてきた虫が、小鳥に食べられ、その小鳥が大きな肉食の鳥にたべられてしまう。生のはかなさを観察した)の王子時代のブッダの話でも、幼少期は元気がなくて、よく悩む性格と表現されています。

■ブッダの青年期
16才でヤラソーダを妻にして、ラーフラという息子が生まれています。

■ブッダの出家決意                         29才で「四門出遊」(しもんしゅつゆう)で病人・老人・死人、そして静謐(せいひつ)な所作(しょさ)の僧侶をみて出家を決意します。

「ブッダが出家を決意するエピソード」

ブッダは生きることに対して思い煩う性格だった幼少期でした、釈迦族の跡継ぎの王子として、何不自由なく育てられたのですが、青年になっても「生きることへの苦しさ」は変わることがありませんでした。

ある時、自分の国の城の外の世界を見に行こうと侍者を連れて馬車に乗ったところ、

東の門にいき、そこで「老人」をみて、
南の門にいき、そこで「病人」をみて、
西の門にいき、そこで「死人」をみて、

若きシッダールタ王子は侍者に尋ねます。

「あの者はどうして年老いてるのですか?どうして病気になっているのですか?どうして死んでいるのですか?みんなあのようになるのですか?」

侍者は答えます。

「はい、みんなあのように年老いて、病気をして、死んでしまいます。王子もおなじく避けれない運命です。」

生きることに対しての思い患いはさらに深まるなかで、

北の門にいき、そこで静謐(せいひつ)な所作の「出家者」をみました。


生きることにたいする「苦」から離れた僧侶の姿をみて、王子の身分を捨てて、出家を決意しました。

これが四つの門から、生きるものの避けて通ることができない苦の「生老病死」(しょうろうびょうし)を見た四門出遊のエピソードです。

■ブッダの出家(しゅっけ)
出家をして苦行をするも覚りを得られず、苦行を辞めます。
苦行でボロボロになったブッダにスジャータが乳粥(ちちがゆ)の食事を布施するエピソードもお経に出てきます。

■ブッダの成道(じょうどう)
35才で成道でありのままの自分とありのままの世界をみた如実知見(にょじつちけん)をして覚り(さとり)を得ます。
瞑想で覚り得たので、「瞑想の修行」が覚りへの一番の近い修行と言うことが伺えます。

お経にでてくる「成道」のエピソード↓
原始仏典 中部 第36経ブッダの苦行と成道の修行時代がでてくるお経

■ブッダの伝道(でんどう)
それから生涯をかけて、自分の得た「覚り」である、
「苦・集・滅・道」(苦の実体、苦の原因、苦の無い涅槃の事実、苦の消滅の方法)の四つの真理「四諦・したい」の「苦からの解脱」を説いていく人生を歩みます。

箭喩経(せんゆきょう)より

「これは苦である」
「これは苦がでてくる原因である」
「これは苦の消滅である」
「これは苦の消滅に導く道の実践である」
この苦の解決の四つの真理である「四諦」をわたしは教えます

■ブッダの入滅
80才でクシナガラの沙羅双樹で頭を北向きにして入滅します。

この45年間のブッダの教えが残されているのが「原始仏典」(パーリ仏典)です。
これから紹介していく原始仏典の内容にはブッダの生涯に関連するエピソードがたくさん出てきます。

そのブッダの遺骨が発見され「実在」が証明されたのが、近代になってからなのです。

■ブッダの遺骨「仏舎利」発見
1898年日本では明治31年にインドのピプラーワーで、イギリスの駐在官Mr.ペッペさんが遺跡を発見しました。その遺跡の中には「仏舎利」容器が入っていました。原始仏典のお経「大般涅槃経」に書かれているエピソードと合致してブッダの実在が証明されたのです。

■ブッダの世界最古の仏舎利塔がこちらに紹介しています。


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