ブッダが見た真理「三法印」(さんぼういん)と、真理と逆の見方「常楽我浄」(じょうらくがじょう)の「四顛倒」(してんどう)
三法印(さんぼういん)とは?
「三法印」(さんぼういん)とはブッダがみた3つの真理です。
真理(しんり)とはブッダが成道(じょうどう)して覚った内容で、
ありのままの自分自身と、ありのままの世の中を観察・体現(たいげん)をして「如実知見」(にょじつちけん)したことで、
諸行無常(しょぎょうむじょう)
諸法無我(しょほうむが)
涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)
ブッダがみた真理が「3つ」あります。
真理が「三つ」あるので、三法印(さんぼういん)です。
真理とは?
「真理」とは、過去・現在・未来いつどんな時でも、
寒いころと、暑いところ、高い場所、低い場所、どんなところでも、
「変わることがない、ありのままの事実の法則」のことです。
ブッダはこの真理の法則を「3つ」見て生涯にわたり教え伝えていきます。
この三法印の思想は仏教が教義として整う以前、最古層の原始仏典「ダンマパダ」にもでてきています。
277.「一切の形成されたものは無常である」
278.「一切の形成されたものは苦しみである」
279.「一切の事物は我ならざるものである」
と明らかな智慧をもって観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。
これこそ人が清らかになる道である。
初期の仏教の基本的信条と解説されているとても重要な真理の教えになります。
「三法印」(さんぼういん)3つの真理の詳しい図解がこちらをどうぞ。
次に、真理とは逆の見方の四顛倒(してんどう)をみていきましょう。
四顛倒(してんどう)とは?
ブッダが見た「真理」の三法印は、普通の人々にはみえなくて、わからないのです。
だから、普通の人々はまったく逆のことを思って日々過ごして生きている考えが、四顛倒(してんどう)です。
四顛倒の見え方は、常楽我浄でみえる。
常楽我浄(じょうらくがじょう)
人は無常であるのに、「常である」とみて、
苦に満ちあふれているのに、「楽である」とみて、
縁起(えんぎ)と五蘊(ごうん)で成りたつ無我の自分なのに、「自我がある」とみて
不浄(ふじょう)なことを、「清らかである」とみて過ごしています。
これを「常楽我浄」(じょうらくがじょう)と言います。
ブッダが見た「真理」とは、まったくさかさまな四つの見方をして、
苦しみの世界に生きているのがわたくしたち普通の人間なのです。
ブッダはこの間違った見方をする人々に「真理」を生涯伝えた実在した人物なのです。
大乗仏教では「常楽我浄」(じょうらくがじょう)は、
涅槃の境地を表した意味で用いられることがあります。
涅槃の覚りの徳は絶対の永遠の「常」であり、
「楽」しみであり、
能動的な自在者の「我」であり、
きよらかな「浄」である、
四つの徳で、四徳(しとく)と呼ばれます。
この「四徳の常楽我浄」を教義の軸にしている新興宗教の宗派のお話も聞いたことがありますが、
ブッダの教えを理解していくと。
きちんと区別して理解ができるようになります。
三法印の真理の理解がないのに、
「常楽我浄」を目指すのは注意が必要ですね。