「書くだけでお金がもらえる!?」批評家が作った新しい形の文学サークル
noteやブログで文章を書いても、全然読んでもらえない ――。文章を書き始めて、多くの人が感じる悲しさではないだろうか。自分の文章を誰かに読んでもらえる。文章を書く仲間ができる。さらになんと、お金がもらえる。書くのが好きな人からすると、こんなに嬉しいことだらけでいいんだろうか、と思ってしまいそうな文学サークルがある。その名も「お茶代」だ。毎月出されるお題に沿って、文章を書く。すると“お茶代”程度の原稿料(100円)がもらえるという仕組みだ。さらにサークル内で紹介もされるため、自分の書いたものを仲間たちに読んでもらえる。
このサークルをたったひとりで運営しているのが、今回お話をお聞きした脱輪さんだ。会社員として働くかたわら、独学で批評を学び“野生の批評家”としても活動している。京都人らしい、やわらかい関西弁で話す人だ。そんな脱輪さんに、「お茶代」と自身のバックグラウンドについて話してもらった。
10年間の模索と努力が「お茶代」を生んだ
脱輪さんは約10年間、趣味の一環として、恋愛エッセイや批評を書いてきた。ただ、コンテンツが溢れるなかで自分の文章を読んでもらうのは簡単なことではなかった。自分の書いたものをもっと多くの人に届けたい一心で、さまざまな文章を書き分けてきた。高校生でも読めるものを書くこともあれば、あまり書きたくはなくとも、前提条件が必要な批評に慣れた人しか読めない文章も書いた。しかし、いくら工夫をしても読まれない。曲やラジオ番組を作ることで、そこから文章に辿り着いてもらおうとしたこともあったが、それぞれのメディアでファンがついただけで、文章を読んでもらうことには繋がらなかった。試行錯誤を続けていくうちに、「文章を読んでもらうためには、なにか導入剤が必要だ」という考えに至った。
文章を読んでくれる人のほかにもうひとつ、脱輪さんが欲していたものがある。趣味が合う友達と、自分と違うものを持った友達だ。大人になると新しい友達がなかなかできない、むしろ減っていく、というのはよくある悩みだが、まさに脱輪さんもその悩みを抱えていた。
もっと自分の文章を読んでもらいたいし、映画や文化について話ができる友達も欲しい。そんな悩みを抱えるのは自分だけでないのではないか。その気持ちが「お茶代」の出発点となっている。
10年ほど文章を書いてはいるが、彼が批評を始めたのは5年ほど前だ。もともとは、mixiで毎日、恋愛エッセイのような文章を中心に綴っていた。あるとき、たまたま自分が好きなバンドの批評を書いた。すると、そのバンドのリーダーの目に留まり、本人からメッセージがきた。そこには、「新しいアルバムに関する記事を書いてほしい」と書かれていた。本当に現実なのか信じられないくらいの驚きだった。その後も、何度かそのリーダーの方の対談記事などを書くなかで、自分が書くべきものは批評ではないか、このまま恋愛エッセイを書いて満足していてはいけないと感じた。
「mixiで書いている恋愛エッセイにはそれなりに反響もあったんですけど、エモい文章書いて女こどもにモテてる場合じゃねえ、批評をちゃんとやるんだ、とそこで思ったんですよね。それで独学で勉強し始めたのが、批評を書き始めたきっかけです」
最初は本当に難しく、納得のいくものはまったく書けなかった。それでも諦めず、勉強をしながらとにかく書き続けた結果、1年ほど前からようやく「自分の批評だ」と言えるものを書けるようになった。
自信が持てるようになってきてから、こんな自分だからこそ教えられることがあるのではないか、もっと批評の面白さ、楽しさを広めるための塾のようなものをしてみたいという気持ちが生まれた。「でも実績がない塾にお金払って行こうと思う人ってなかなかいないじゃないですか。やったら、生徒がお金がもらえる塾やればいいんじゃないかと思ったんですよね」
なんの肩書も持たない人でも手軽に発信ができるようにはなったが、まだまだ書く必要性のない、自分が書きたいから書くような「自分の文章」を書かずに死んでいく人がほとんどだ。そんな人が初めて書く瞬間を作っていきたい。「書いたことない人が書き始める瞬間が、一番美しいと思うんですよ。そこで生まれる文章を自分は読みたい」
こうしたさまざまな悩みや想いの帰結として、2021年11月「お茶代」は生まれた。
不在により強烈な影響を与えた姉
ところで、彼のこうした独創性や感性はどのように培われたのだろう。
脱輪さんは、父母と11歳上の姉の4人家族で育った。家族でもっとも彼に影響を与えたのは姉だったという。姉の人格ではなく、蔵書に大きな影響を受けた。
「小学生の頃から、少女漫画の英才教育を受けたんですよ。学校から帰ってきたら机の上に少女漫画が積み上げてあるんですよね。それで積まれてるから読む、次の日帰ってきたらまた積み上げてある、また読む、みたいな。特に感想を話したりということはほぼなかったんですけど、そういうルーティンができてました」
そして、小学生の頃から10歳以上年上の姉が読むような漫画を読んでいたためか、早熟な子どもだったという。中学の美術の先生とすごく気が合い、「絵が得意なわけでもないのに常に成績は5」だった。
姉からの影響は、少女漫画だけではなかった。脱輪さんが小中学生の頃、姉は高校や大学に通っており、家にいることが少なかった。その留守の間に姉の部屋に忍び込んで、蔵書を気の向くままに読み漁った。現在はアカデミックの道を歩んでいる姉の部屋にはハイカルチャーからポップカルチャー、サブカルチャー、アングラまで幅広い蔵書があった。幼少期から思春期の間にさまざまなカルチャーにふれたことで、カルチャーを区別や垣根なく考える感覚が身についたという。姉は自身の不在によって、彼に大きな影響を与えた。
一方、学校ではクラスの人気者。人を笑わせることが大好きで、モノマネをしたり面白いことを言ったりするタイプだった。
尾崎豊や吉井和哉が好きで、コンサートのビデオも何度も見た。尾崎豊に関してはMCも含めてコンサートをすべて再現できるほど夢中になっていた。「彼らの共通点は、演技としての人生を本当に生きているところ。キャラを作っているっていうのは本来の自分との二項対立として、偽りみたいな悪いこととして捉えられがちですけど、実際はそんなに単純なものじゃないですよね」
本来の自分で人生を楽しむことと、演技者としてキャラを作って生きていくこと。この二項対立を乗り越えて、自分の人生を楽しみながらも演技者として「歌舞きながら」人生を歩んでいくことは、彼の人生哲学だ。
自分と「お茶代」を切り離したい
「お茶代」を始めたときは、参加者にデメリットがないため公開した瞬間に100万人来るのではないかと恐怖を感じた。「お茶代」の原稿料の出所は脱輪さんのポケットマネーだ。100万人が参加すれば大変なことになってしまう。だが、いざ始めてみると初月の参加者は自分だけだった。幸い2ヶ月目には、何人かが参加してくれたが、集まるのは文章に対して意識の高い人ばかりだった。
お茶代が生まれて10ヶ月経つ現在、お茶代のメンバーは20人ほどだ。とは言っても、一度でも参加すればメンバーとなり、毎月書かなければならないノルマもないため、20人全員が毎月文章を書いているわけではない。継続して参加しているのはやる気や能力の高い人が多い。「お茶代」はシステム上、有象無象となる可能性もあれば、それどころかモラルのない人や危険な人が集まってしまう可能性もある。しかし実際はそうならず、文章と人間の質が担保された状態で運営ができている。
一方、ある種のカルト化に課題を感じている。「僕がひとりで運営してるから当たり前と言えば当たり前なんですけど、お茶代は僕のこれまで築いてきた関係性のような属人的なもので成り立っている部分がある。脱輪がしてるからお茶代に参加している人も多くて、お茶代と僕を切り離せてないんですよね」
“カルト化”脱却のためには、脱輪さんではなく「お茶代」のビジョンに興味や魅力を感じてもらうことが必要だ。そのための方法を現在模索している段階である。ライト層を中心にお茶代のメンバーを増やす。そして実際に文章を書くメンバーが毎月20人ほどいて、そのうち3名は新規参加という状態を作る。これが現在の目標だ。
「会社でもなんでも誰かに依存する組織って不健全じゃないですか。脱輪がいなくてもお茶代が回る状態にして、僕は子どもたちが自由に遊んでるのを『楽しそうに遊んでるな~』って眺めてるおじいちゃんみたいになりたいです」
小さい頃から人を楽しませるのが好きだった彼は、現在「多分世界初」と語る文学サークルと批評を通じて私たちを楽しませようとしてくれている。今後お茶代がどう発展していくのか、そして脱輪さんがどうなっていくのか、ひとりのメンバーとして引き続き注目していきたい。
脱輪さんのnoteはこちら