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太宰の文章は世界でいちばん美しいと思う

どうしてこんなに、美しくて、なめらかで、気持ちよくて、さいっっこうの文章が書けるんだろう。

本当に同じ日本語なんだろうか。いやたしかに日本語なんだけど。とても同じ言語を使っていると思えない。今まで読んだ文章のなかで、いっっっっちばんすき。太宰の文章が。世界一、いや宇宙一素晴らしいと思う。

よく聴いているPodcastの「ゆる言語学ラジオ」で、以前パーソナリティの堀元さんが「言語思考者は文章だけで恋ができる」と言っていたけど、わたしも太宰に恋をしているのかもしれない。

というか、あんな文章を書ける人のことを、好きにならないわけがない。文章から伝わってくる太宰の繊細さ、弱さ、優しさ、ユーモア、世間への厳しさ、全部とってもすき。なぜかわかんないけど、すっごくいい人ってことだけはわかる。

太宰の文章を読むたび、そんなことを思っているわたしなので、「本の中の好きな一行、一節を語ろう!」という課題を見た時から、太宰の『斜陽』を取り上げることは決めていた。

もし『斜陽』を読んだことのない人がいたら、わたしのこんな太宰好きしか言ってない文章はどうでもいいので、まずこちらから『斜陽』を読んでほしい。でもとりあえず、読んでない人に説明すると、戦後の華族制度廃止によって没落した貴族の姿を通じて、旧時代の価値観に対する道徳革命、人間の孤独や葛藤などを描いた作品です。

もう本当にすばらしくて、太宰の作品のなかで一番の名作だと思う。もし、ひとつの本だけを除いて、世界中の書物を消滅させなければならないとしたら、間違いなくかつ迷いなく『斜陽』を残すなと思うレベルの本。

だからテーマとなる本は見た瞬間に決まったけど、逆にいいフレーズありすぎて、7つに厳選はしたけど一節だけには絞れるわけなかったので、好きなフレーズをいくつか並べて、好きポイントを喋っていきたい。(以下の引用文章は、すべて青空文庫内の『斜陽』のページより引っ張ってきました。まだの人は早く読んでください)


デカダン? しかし、こうでもしなけりゃ生きておれないんだよ。そんな事を言って、僕を非難する人よりは、死ね! と言ってくれる人のほうがありがたい。さっぱりする。けれども人は、めったに、死ね! とは言わないものだ。ケチくさく、用心深い偽善者どもよ。

 僕が早熟を装って見せたら、人々は僕を、早熟だと噂した。僕が、なまけものの振りをして見せたら、人々は僕を、なまけものだと噂した。僕が小説を書けない振りをしたら、人々は僕を、書けないのだと噂した。僕が嘘つきの振りをしたら、人々は僕を、嘘つきだと噂した。僕が金持ちの振りをしたら、人々は僕を、金持ちだと噂した。僕が冷淡を装って見せたら、人々は僕を、冷淡なやつだと噂した。けれども、僕が本当に苦しくて、思わず呻いた時、人々は僕を、苦しい振りを装っていると噂した。
 どうも、くいちがう。

『斜陽』のなかでも、主人公の弟・直治(ダメダメ男)の夕顔日誌はすごく好きなパート。そのなかの特に「これは…!」という部分を選んでみた。 めちゃくちゃわかるし、こういう、まともそうな顔をしてる人に対するアンチテーゼを、美しく書けちゃうのが太宰の好きなところなんですよね〜〜〜〜圧倒的に弱者の文学。だから「太宰は自分をわかってくれる」って思う人が多いのかなと思ったりする。

別のところで「不良とは、優しさの事ではないかしら。」って文章があるけど、太宰だって川端に「作者目下の生活に厭な雲ありて、」とか言われるくらいには不良してるけど、あれも根源的に太宰が優しいからだと思うんですよね。優しくて繊細だからああなっちゃうし、ああならずにいられない、みたいな。ガラス細工みたい。すきです。

それでも私はこの本を読み、べつなところで、奇妙な興奮を覚えるのだ。それは、この本の著者が、何の躊躇も無く、片端から旧来の思想を破壊して行くがむしゃらな勇気である。どのように道徳に反しても、恋するひとのところへ涼しくさっさと走り寄る人妻の姿さえ思い浮ぶ。破壊思想。破壊は、哀れで悲しくて、そうして美しいものだ。破壊して、建て直して、完成しようという夢。そうして、いったん破壊すれば、永遠に完成の日が来ないかも知れぬのに、それでも、したう恋ゆえに、破壊しなければならぬのだ。革命を起さなければならぬのだ。ローザはマルキシズムに、悲しくひたむきの恋をしている。

いったいまあ、私はそのあいだ、何をしていたのだろう。革命を、あこがれた事も無かったし、恋さえ、知らなかった。いままで世間のおとなたちは、この革命と恋の二つを、最も愚かしく、いまわしいものとして私たちに教え、戦争の前も、戦争中も、私たちはそのとおりに思い込んでいたのだが、敗戦後、私たちは世間のおとなを信頼しなくなって、何でもあのひとたちの言う事の反対のほうに本当の生きる道があるような気がして来て、革命も恋も、実はこの世で最もよくて、おいしい事で、あまりいい事だから、おとなのひとたちは意地わるく私たちに青い葡萄だと嘘ついて教えていたのに違いないと思うようになったのだ。私は確信したい。人間は恋と革命のために生れて来たのだ。

主人公かず子が、恋と革命に目覚める独白パート。いやもうほんと……いいい………。特に勝手に太字にしたところが。

「破壊は、哀れで悲しくて、そうして美しいものだ」からの「人間は恋と革命のために生れて来たのだ」ってやばくないですか?心が湧き立つ。そうなんですよ、革命を起こさなくてはならないんですよね。起こそうわたしも。

『斜陽』の好きなところって、この強くて、でもちょっと破壊思想を持ってて、でもやっぱり逞しく自立して、最終的に革命を起こすかず子と、ダメダメで弱々の直治が出てくるところなんですよね。わたしは自分のなかに、かず子と直治のどっちのエッセンスもあるなあって思っているので、『人間失格』とかと比較するとシンパシーが倍。でもそもそもそんなの関係なく名作すぎて好きです。

このパートは本当にかっこよくて、レミゼの『民衆の歌』でも流しながら読みたい。名文。

戦闘、開始。
 いつまでも、悲しみに沈んでもおられなかった。私には、是非とも、戦いとらなければならぬものがあった。新しい倫理。いいえ、そう言っても偽善めく。恋。それだけだ。ローザが新しい経済学にたよらなければ生きておられなかったように、私はいま、恋一つにすがらなければ、生きて行けないのだ。

あと少し後に出てくるこのセリフも強くて大好き。戦いとりたい……!(何かを)

 姉さん。
 だめだ。さきに行くよ。
 僕は自分がなぜ生きていなければならないのか、それが全然わからないのです。
 生きていたい人だけは、生きるがよい。
 人間には生きる権利があると同様に、死ぬる権利もある筈です。
 僕のこんな考え方は、少しも新しいものでも何でも無く、こんな当り前の、それこそプリミチヴな事を、ひとはへんにこわがって、あからさまに口に出して言わないだけなんです。
 生きて行きたいひとは、どんな事をしても、必ず強く生き抜くべきであり、それは見事で、人間の栄冠とでもいうものも、きっとその辺にあるのでしょうが、しかし、死ぬことだって、罪では無いと思うんです。
 僕は、僕という草は、この世の空気と陽の中に、生きにくいんです。生きて行くのに、どこか一つ欠けているんです。足りないんです。いままで、生きて来たのも、これでも、精一ぱいだったのです。

僕には、希望の地盤が無いんです。さようなら。
 結局、僕の死は、自然死です。人は、思想だけでは、死ねるものでは無いんですから。
 それから、一つ、とてもてれくさいお願いがあります。ママのかたみの麻の着物。あれを姉さんが、直治が来年の夏に着るようにと縫い直して下さったでしょう。あの着物を、僕の棺にいれて下さい。僕、着たかったんです。
 夜が明けて来ました。永いこと苦労をおかけしました。
 さようなら。
 ゆうべのお酒の酔いは、すっかり醒めています。僕は、素面で死ぬんです。
 もういちど、さようなら。
 姉さん。
 僕は、貴族です。

直治の遺書は全文載せたいくらい好きなんですけど、とりあえず冒頭と最後だけにしました。本当に綺麗な文だ……それに本文で言ってることもなんかちょっとわかるんですよね。お金のことで人と争う力がないとか、強暴になりたいとか。世の中、力が必要すぎる。なんかそう思うとやっぱり弱者の文学なのかな。

ていうか、かず子が革命の一歩を踏み出した次の朝に直治は死んでるの象徴的すぎてやばくないですか?破壊と革命ができずに押し潰されて滅んでいく直治……革命に踏み出す姉との対比が鮮やかすぎる。

以上です!なんかどう終わらせたらいいかわからなくなったけど終わります。もう言うの3回目だけど、ほんと『斜陽』読んでください。


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えなりかんな|本とフランスを愛するライター
12月からフランスに行きます!せっかくフランスに行くのでできればPCの前にはあまり座らずフランスを楽しみたいので、0.1円でもサポートいただけるとうれしいです!少しでも文章を面白いと思っていただけたらぜひ🙏🏻