「よそ者、若者、馬鹿者」が島でチャレンジして気づいたこと
「よそ者、若者、馬鹿者」という言葉を聞いたことがあると思います。
地域活性化の成功法則として言われてきた言葉です。
この三つを備えたものが地域に訪れ、改革するイメージで、ふるさと応援隊みたいな人が各地にいます。
私の経験でお話ししますと、三つ備えた精鋭でも、なかなかうまくいかなくて諦めて帰っていくケースもよく見てきました。
種子島に渡ったとき、「誰もあなたを受け入れないでしょう」と何人にも言われました。
私が起こした行動は、博物館の館長を紹介され、4日間の時間を作っていただき、
・サトウキビを作っている
・サトウキビを絞る機械を持っている
・鍋を持っている
・技術を習得している
そんな条件を持つ人を一緒に探していただきました。
その条件を満たす方と出会うことができたのですが、その方はご高齢の方でしたので、その方には意を決し、無理なお願いをすることにいたしました。
それは「あなたの最も嫌いな人を紹介してほしい」という相手が激怒しそうなお願いでした。
するとその方は、少し下を向きながら、何十年も会っていない方へ電話を入れてくれました。
その方が竹ノ内さんという砂糖を製造できる人物でした。
それから10年ほど竹ノ内さんに習い、その後自分たちの工場設立にたどり着くことができました。
「白い黒砂糖を作りたい」という私の思いに皆さんも賛同してくれましたが、とりあえず黒糖からスタートすることができました。
まさに「よそ者、若者、馬鹿者」が島に渡ってのチャレンジでしたが、そこで気が付いたことは、「内なる、歳を重ねた、知恵ある村民」と出会えたかどうかだと思ったのです。
また、嫌いな人を紹介してもらうというのは、それぞれの派閥みたいなものが地域にはあり、その反対側の人にもたくさんの資源があると思ったからです。
自社で砂糖を作ると決めたのも、30年近く前に超特選栗部会を発足した時、平均年齢が65歳でした。
20年後には栗がなくなると危機感を感じ、農業法人を立ち上げ、辞めていく生産者の畑を借り受けて収量を落とさないことでブランディングを確立させようとし、
当社の看板菓子である「栗きんとん」は栗と砂糖だけ作るお菓子なので、栗に加え砂糖も無くなると我々の文化自体もなくなっていくことを恐れて、種子島に渡りました。
栗と砂糖を自社の資源として持つことが適えば、未来の恵那川上屋にとって有効だと判断したからです。
砂糖単体ではまだまだ利益が出るまで行ってはいませんが、「健全な赤字部門に投資する」ことが、いずれ地域を支えていく基になると信じています。
現在、島には砂糖杜氏(勝手に名付けました)が数人いますが、恵那川上屋には10名ほどいます。
コツコツ資源を蓄積して、いずれ花が開くように準備しています。
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