見出し画像

言語化することの力


昨日、秋田市のアドラー心理学の子育てのオンライン定例会でした。

その中で、小学生のお子さんの悩み事を、どうやって勇気づけたらよいだろう?とみんなで考えていったのですが。


まず、子どもの話を聴きたいよね。

と、みんなで11-Lを読みながら問いを考えていくプロセスの中で、


ああ、この子が抱えている痛み、

私も、中学生~高校生の頃に抱えていたなぁ。


あの頃は、どうやって自分の悩みを、感情を、思考を言語化したらいいのか分からなかった。

分からないから、とにかく蓋をして、なんでもない振りをして、

私は、そのまま大人になった。


ということに気が付きました。


問題を解決できなかったまま、「見て見ぬふりをする」「なかったことにする」「臭い物に蓋をする」、そんな消極的な選択肢で現実をやり過ごしてきたけれど、


こんなふうに言語化すればよかったんだ。


あのころは、誰にも相談できなかったけれど、誰かに相談していたら、誰かがこんなふうに私の話を聴いてくれたのかもしれない。私にこんなふうに優しく問いかけてくれたのかもしれない。そうしたら、私もこんなふうに勇気づけられたのかもしれない。


一瞬で答えは出ない。

時間はかかる。

でも、その、私が抱えている痛みを解決できるまでにかかる時間を、誰かが仲間として一緒に過ごしてくれたのかもしれない。


「こんなふうにすればよかったんだ。」

代替案が、みんなの力で作り上げられていくのと一緒に、

言語化できなかったことで、しこりのように残っていたモヤモヤが、なんとなく成仏(言い方)していくのを感じていました。(アドラー心理学の勉強会やっていると、こういうことが時々あります。メンバーさんの事例の代替案が出るのと一緒に、小さい頃の自分の痛みが成仏していく感覚)(だから言い方)


言語化ってすごいなぁ。

モヤモヤ、ぐちゃぐちゃしていたもの、自分の手には負えないと思っていたものが、クリアになっていく感じ。


人は、「どうすればいいのか分からない」と思うと、怖くなるし、自信を失うし、勇気をくじかれるけど、

「こうすればいいんだ(よかったんだ)」と分かると、安心できるし、自信がわいてくるし、勇気づけられる、と改めて感じた昨日でした。


言語化って大事ですね。しみじみ。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?