『赤ずきんちゃん』~登場人物についての一考察~
今月の「書く技術」、扱っていたのは『赤ずきんちゃん』(グリム/矢崎源九郎訳/「グリム童話集(1)」偕成社文庫、偕成社 1980(昭和55)年6月1刷)でした。
(著作権が切れている青空文庫で探しました。『赤ずきんちゃん』だと、楠山 正雄氏訳もあったのですが、こちらは1949(昭和24)年2月20日初版発行で、訳文に使われている言葉が古かったため、矢崎源九郎氏訳の方を使用しました)
(古い言葉の例)
「すると、なにかが、いつもとかわってみえたので、
「へんだわ、どうしたのでしょう。きょうはなんだか胸がわくわくして、きみのわるいこと。おばあさんのところへくれば、いつだってたのしいのに。」と、おもいながら」(楠山氏訳)
(そうかぁ。昔は「わくわく」って、不気味・気味が悪いものに遭遇したときに感じる感情だったのか、とか、これはこれで面白かったです)
で、さて。
今月の「書く技術」、全部の日程が終わりましたので、私なりの解釈を書いていこうと思います。(講座開催中に書いてしまうと、私の解釈にひっぱられる方がいるかもしれないので、自粛しておりました)
私が『赤ずきんちゃん』の中で一番ひっかかったのが、「お母さん」でした。
「ある日、おかあさんが赤ずきんちゃんをよんで、いいました。
「赤ずきんちゃん、ちょっとおいで。ここにおかしがひとつと、ブドウ酒しゅがひとびんあるでしょう。これをね、おばあさんのところへもっていってちょうだい。おばあさんは病気びょうきで、よわっていらっしゃるけれど、こういうものをあがると、きっと元気になるのよ。じゃ、暑あつくならないうちに、いってらっしゃい。それからね、そとへでたら、おぎょうぎよく歩いていくのよ。横道よこみちへかけだしていったりするんじゃありませんよ。そんなことをすれば、ころんで、びんをこわしてしまって、おばあさんにあげるものが、なんにもなくなってしまうからね。それから、おばあさんのおへやにはいったら、いちばんさきに、おはようございますって、あいさつするのをわすれちゃだめよ。そうして、はいるといっしょに、そこらじゅうをきょろきょろ見まわしたりするんじゃありませんよ。」
「だいじょうぶよ。」
と、赤ずきんちゃんはおかあさんにいって、約束やくそくのしるしに指きりをしました。」(矢崎源九郎氏訳)
お母さんの出番はここだけなのですが、
このセリフを読むと、この人が大切にしている価値観は、
「お行儀がよいこと」
なんだろな、と思います。(そとへでたら、おぎょうぎよく歩いていくのよ。横道よこみちへかけだしていったりするんじゃありませんよ。そんなことをすれば、ころんで、びんをこわしてしまって、おばあさんにあげるものが、なんにもなくなってしまうからね。それから、おばあさんのおへやにはいったら、いちばんさきに、おはようございますって、あいさつするのをわすれちゃだめよ。そうして、はいるといっしょに、そこらじゅうをきょろきょろ見まわしたりするんじゃありませんよ。の部分から分析)
で、この人の行動、ものすごく違和感を感じました。
病気のおばあさんのために、わざわざお菓子を焼いて、ぶどう酒を用意して、赤ずきんちゃんにこれだけ丁寧に(というか、口うるさく)注意をする、これだけ気の回る人が、
なんで、オオカミが出るとわかっている森に、
こんな幼い娘を、1人で行かせるの?
めっちゃ不自然じゃね?
そして、注意をするなら、お行儀よりなにより、
「オオカミにあわないためにどうすればいいか」
「オオカミにあったらどうすればいいか」
じゃないの?娘の命にかかわるのだから。
(のちの狩人のセリフで、このオオカミがけっこう長いこと森で悪事をはたらいていたことが読み取れます。これだけ気の回る人が、オオカミのことを知らなかったとは考えづらい)
そうなると、「なんでお菓子を焼いてぶどう酒を用意したのに、この人自身はおばあさんのお見舞いに行かないのか?」がひっかかってくるのですが、
「おばあさん」て、
「お母さん」の実母?義母?
問題が出てきます。
わざわざお菓子を焼いて、でもお見舞いに行かない(多分行きたくない)あたり、
義母の線が濃厚な気がするのですが、
実母だとしても、どっちみち、あんまり関係性はよくなさそうです。
義母が病で臥せっている話を(多分人づてに)聞いた。
お見舞いに行かないと、義母や親戚から小言のひとつも飛んできそうだし、ご近所に陰で何を言われるかわからない。
でも、行きたくない。
義母が可愛がっている、赤ずきんちゃんをお見舞いに行かせれば、世間体は保たれるだろう。
そんな打算がある気がして、
そうなると、「なんで赤ずきんちゃんにオオカミのことを話さなかったのか」も謎がとけてきます。
「オオカミのことを赤ずきんちゃんに話して、赤ずきんちゃんが『え。オオカミ怖い。森に1人で行きたくない』って拒否したら困るから」
なんじゃないかと。
整合性はとれるけど、
いやいやいやいや、
ものすごくつっこみたい。
「義母との(多分、よくない)関係性」は、お母さんのタスクだよね。なんでそれを、娘にかぶせるの?娘の命を危険にさらしてまで。
自分の世間体は、娘の命より大事ですか?
なんというか、この人の、本質(この場合は娘の命。そして、義母との関係性をどうするか)を見ないようにして、色々こねくり回す(お菓子焼いたり、オオカミのことを伏せて娘をお見舞いにいかせたり)ことによって、この人の周りの現実がいろいろ歪んでいること、
この人自身は、気づいていないか、
気付いていても、気付いていないフリをしているんだろなぁ。
そして、(今回は助かったけど)赤ずきんちゃんがオオカミに食べられて死んでしまったら、「可哀そうな母親」を演じるんだろうなぁ(演じている自覚すらなく)。元凶が自分だという現実を見る勇気は、この人にはないだろうから。
別に、義母と仲がよくないのは、OK。生きていれば、気が合う人も合わない人もいて当たり前だから。「気が合わない人と、どう距離をとり、どう付き合えば気持ち良いか」を考えるのは自分のタスクで、
「私は義母が嫌い」という自分の心と向き合うことなく、「良い嫁」を演じようとしている結果のトラブルのような気がしてならない『赤ずきんちゃん』という物語でした。
(たぶん、焼いているお菓子も、けっこう手が込んだお菓子焼いてると思いますこの人の場合。ぶどう酒も、そこそこ良いもの買っているはず。でも、エネルギー注ぐのそこじゃねぇんだよ。)
私が『赤ずきんちゃん』から読み取った教訓は、
「自分と向き合うことから逃げると、大切な人を巻き込むとんでもないトラブルが発生することもある。自分から逃げるな」
です。
おそらく、一般的な『赤ずきんちゃん』の解釈ではないのですが笑
私の解釈はこんな感じでした。
「解釈」って、ほんとはこれくらい自由なんですよねー。
というわけで、受講生さん達もほんとに自由に『赤ずきんちゃん』を読み取っていましたし、私もそれを伺うのがほんとに楽しかった7月でした😊
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