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ささやかに、ありがたく。


まだ小さな子どものころ、私はすごく怖がりで、守られていたにもかかわらず、心の中でいろいろなものに怯えていた。
テレビに写し出された、遠い国で現在進行形の戦争や、過去の酷い記録の映像、病院のドキュメンタリー、未確認生物の特集まで。

ひとりになって暗い中で眠りにつくとき、それらの映像は次々と頭の中に浮かんだ。
私は自分の中でお祈りの言葉を作りあげ、毎日ふとんの中で唱えていた。

みんながへいわで、けんこうで、あんぜんで、こわいことのない、しあわせな一日でありますように。



もちろん親にも誰にもそんなことを私が思っていたなんて口にしたことはないし、たぶん中学生になるころには、その寝る前の習慣も自然となくなっていたと思う。


昨日、久しぶりにそのことを思い出した。
もう30年以上前のことなのに、その言葉ははっきりと覚えていて。



なにごともなく過ごせる一日のありがたさを忘れない、ということ。
そしてあらためて、もしものときの準備を確認しておくこと。


それを心に刻む、一年のはじまりでした。



どうか、誰もが心おだやかな日常を過ごせますように。




そして日常の延長の、我が家のお正月。

朝と夜以外家族はそろわず、昨日はサッカーの蹴りはじめで寒さに震え(なんで元日からやねん…)、今日も家でただのんびりしている。

私も明日からまたしばらく仕事なので、何がなんでも今日のうちに、と、子どもたちに書き初めをさせる。

男子ふたり、なんやかんや言いながら、とにかく進まない。
一年ぶりに子どもたちが筆を持つのを見るので、好きにさせようと思うのに、見るに見かねてヤイヤイうるさく口出ししてしまうのも、困ったもの。


私も何か書こうかな、くらいに思っていたのに、二人が仕上げるまでに時間も気力も消耗しきって、もうそこまでに至らなかった…。



ここ数年、年末になるとお客さんからいただくお菓子がある。
お正月の細工菓子。
初春づくし、という名前で、ひとつひとつとても美しく、見るだけでうっとりしてしまう。

和菓子大好き長男は、包まれた箱を見ただけで、あ、あれだ!とよろこぶ。
なんとか昨日まで開けるのを我慢させたけれど。

みんなで、大事にひとつ選んで食べ、またふたをしめる。
感謝と願いをこめて、ひとつ、ひとつ。


ささやかだけど、それでいいと思う。



今年もどうぞよろしくお願いします。


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