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急に耳が聴こえなくなった話

 持っているスエードのジャケットが破れたので、お直しを依頼しようと色々な修理屋さんに行っているが、なかなか受け付けてもらえない。

「特殊な縫い方をしているので...うちのミシンではちょっと...」って言われるか、「お昼休みしています」という看板が置いてあるかしかない。

 お昼休みいつもこの時間までしてますって書いといてくれよ、ホームページによぉ。わざわざ行きたくもねぇ、よくわからん場所まで来といて、なんもねぇのかよって帰る時の気持ちほんと寂しいんだから。

 で、車でそこら辺を右往左往してるんだけど、子どもの時に来てたこれってこんなとこにあったんだ〜ってのに遭遇することが多い。昔行ってた公園とか、病院とかだ。

 なんの成果も得られず、寂しくなっている時にあのノスタルジーな気持ちが湧いてくると、なんかもう心がぐしゃぐしゃになる。

 なんだこの気持ちは...ってなるんだよな。心が冷たくなってる時にあったかくなるもんだから、俺の心がガラスのハートだったら割れてるところだ。

 話を少し戻すけど、昔行った病院を見つけたわけよ。耳鼻科なんだけどさ。「こんな奥まったとこにあったんだ」って思った瞬間に昔の記憶が蘇ってきた。俺が急に耳が聴こえなくなった時の記憶だ。



 中学生ぐらいの頃だったか、風呂入ってる時に「耳に水入るってどんな感じなんだ」って気になった。水泳の授業とかで耳の周りに水があって音がこもっているということは感じたことがあったが、耳に水が入ったことはなかった。

 だから、思い切ってシャワーを耳の穴に向けた。

ジャー。ボコボコ。
うわ、すげぇ!耳が蓋されてるみたいだ!

 今考えればバカなことしたなぁって感じだけど、俺はその時興味本位でそんなことをした。

 さっきのことを親に話したんだけど、耳の水はすぐに抜けるからそのうちその蓋みたいな感覚も取れるぞ、あとバカなことすんな、と言われただけだった。その後、俺は明日も学校があったからすぐに寝た。

 次の日、起きても耳に水の蓋があった。聴こえにきぃな、まぁいいや。そのまま2日放置した。シャワーを耳に向けた夜から3日。その日の朝になっても耳に蓋がしてあるため、さすがにおかしいと思った俺は放課後、保健室の先生に相談した。

 シャワーの話は恥ずかしいのでせずに、急に耳が聴こえなくなったとだけ言った。先生は「それ突発性難聴じゃないの!」って大慌て、どうやら早く病院にかからないと取り返しがつかなくなるらしい。

 俺も現実見が帯びてきて、クソ焦ってきた。すぐに親を呼んで耳鼻科に行った。親は夕方とは言え仕事が終わってなかったし、俺のバカ行為のせいってのもあってちょいキレだった。

 そこは、予約しないと待つ耳鼻科だったから、「待ち時間マジで嫌だな」と思いつつ車に乗っていた。

 耳鼻科についた。中に入り、周りを見る。6.7人は待っていた。それを横目に受付のお姉さんに話しかける。

 お姉さんも終業間際だからめんどくさそうな顔をしていたが、俺も動転しているので意に介さずあたふたしながら「あの急に耳が聴こえなくなったのですが...」と開口一番言った。

 すると、お姉さんは顔色を変えて受付の奥に行った。少しすると受付の横にあったカーテンが開いて、「エンマさん、どうぞ」と言われた。

 え、待たなくていいの?このあまりの緊急事態っぷりに診断されてもいないのに「マジでおれ突発性難聴なんだ..」と絶望した。

 先生が前にいて、医療用のでかい椅子に座るよう促される。「急に耳が聴こえなくなったんだって?」「はぁい...」「何日経ってるの?」「3日目ですぅ...」「とりあえず診るよ」「お願いしますぅ...」すっかり意気消沈だ。

 なんか右耳がガサゴソ言っている。少し経って先生が「ん?」と言った。なんだなんだ?「エンマさん楽にしていいよ」思っていたよりも早く終わった。

 「えー結論から言いますと、耳垢が詰まっているんだけでした」はぇ?

「ただね、君の耳垢に面白い性質があるね、固まりやすいみたい。」「固まりやすいから、耳の穴はバッチリと蓋してたみたいだね」「ほら見てみ」

 俺の耳垢は銀のトレーの上にあった。赤黒く、瘡蓋みたいになっていた。

 「耳垢きちんと掃除してね」その一言で俺の診察は終わった。薬も何も出されていない。「失礼しました」って言ってカーテンから出ると、待っている人はみな怪訝そうな顔をしていた。

 恥ずかしさに俺は、親の支払いを待たず、逃げるように外へ出た。耳鼻科から出ると、あたりは暗くなっていた。夕方とも夜ともつかない時特有の、冷たい空気が耳の穴に流れていく音が聞こえた。

 人って耳に蓋されるのが治ると、こんなに鮮明に音が聞こえるだなと思った。帰りの車で、親にこっぴどく叱られた。



 車に乗っていてあの耳鼻科見つけた時、こんな記憶を思い出した。いつもは冷たいとあたたかいでぐしゃぐしゃになる俺の心は、この時だけは妙な恥ずかしさであつくなっていた。

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