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「憐みの3章」 エンマのゆるふわ評論

 隔週日曜日に「エンマのゆるふわ評論」というコーナーを設けることにしました。評論は映画であれ、ゲームであれ、小説であれ、漫画であれ、音楽であれ、様々なことをゆるふわに評論、または感想を書いていきます。いつも書いているエッセイより文字数も多め。
よろしくお願いします。

第1回は映画。
「憐みの3章」 ヨルゴス・ランティモス監督、脚本

(画像は、憐みの3章 Searchlight pictures Japanのサイトから)


はじめに

 俺は、ランティモス監督の作品を見るのが初めてであるため、理解するのにかなり時間がかかった。結構、自分の中で考えて、かみ砕いて咀嚼しての結果。なかなかの良作だったのではないかと思う。

 音楽1つとっても、カット1つとっても、非常に高い芸術性を感じた。映像に出てくる色合いや、衣装がものすごく気に入っている。ランティモス監督の他作品がこのような感じなら、みるのもやぶさかではない。
ではゆるふわ評論を始めたいと思います。

大いにネタバレします。
まだ見ていない方は注意!!!

物語全体の感想

 この映画は、1つの映画の中に3つの短編が入った作品だ。そこまではまだ普通だが、1つ1つの短編に出てくるキャストが一貫している。では、3つの短編の内容は続いているの?というとそういうわけでもない。全く違う内容の短編で、出てくるキャラクターも違うが、キャストは皆同じだ。

 例に挙げれば、1章では主人公の上司を演じていた俳優は、2章では主人公の義理の父親になっており、3章では主人公が帰依しているカルト宗教のリーダーになっている。

 この演出によって、全く内容の違う3つの物語がどうも繋がっているんじゃないかと思えてしまう。この感覚が奇妙でなかなか面白い。

 しかしこの演出の中に、1人だけ例外がいる。RMFというキャラクターだ。こいつはすべての短編でRMFという共通の役で登場する。それに、短編の題名も「RMFが○○する」という共通のフォーマットをもつ。このRMFについては別の見出しで話すことにする。

 最後に映画全編を通して感じたテーマについて触れる。
憐れ、家族(特に親と子)性の繋がり、支配する支配される

 大文字は特に全編を通して重要なフレーズだと俺は考えている。
では、1章から感想を言っていこう。

1章「R.M.F.は死ぬ」について

 1章は上司に生活のすべてを支配された男の話。俺の中では、親と子という関係を歪曲して描いているようにも見えた。めっちゃ与えられて、愛されるけど、やれと言われたことをやらないと怒られて家を出てけと言われる。親の目線に立てば、子どものことを愛しているから、思っているからああいうことをするのだと分かるけど、子どもの時は親がなんで自分に厳しくするかが分からない。ほんで嫌になって、逆らって、家出をする。ごくありふれた家族の形を、かなり誇張して歪にしたのが1章なのかなと感じた。途中から、ロバート(1章の主人公)が子どもにしか見えなかったし。

 あとは資本主義を前面に押し出した感じもあった。ロバートの家や勤め先、バーなど、セットが高級志向というかブランド万歳というか。こんな豪華なものを持っていても、中身がこんなんじゃ意味がないとロバートが言われているように感じた。まさに憐れな姿。

 1章が自分の中では好みだったのでスッと監督の世界観の中に入っていけた。

2章「R.M.F.は飛ぶ」について

 いろいろな解釈ができる話だと感じた。1章よりも家族の話に重きを置いている。海難事故から帰ってきた妻が、誰かとすり替わっている?という話。この物語は主人公を誰とするかで結構考えた。警官のダニエルなのか、妻リズなのか。最初はダニエルの視点を多く見せることで、ダニエルの不信感に共感できるようにしてあったけど、途中からリズの視点が多くなっていき、どちらが本当なのかわからなくなってきた。

 俺としては最後のシーンで主人公が決まった。ダニエルだ。リズが肝臓を抜き取った時、家の扉が開いて本物?のリズが出てきた時。このシーンを見た時に、日本昔話感というか、中国怪異譚というか「本当の私ではないことに気づいてくれてありがとう、これでようやく結ばれることができます。」みたいなものを感じた。人ならざる天女とかに求婚した男が試練を受け、天女と結ばれるみたいなものは世界に多い。ダニエルは妻を本当に愛しているかの試練を受けたのだと思う。

 2章はかなり意見が分かれると思うので、他の意見を聞きたい。

3章「R.M.F.サンドイッチを食べる」について

 3章は主人公エミリーが入っているカルト宗教の新たなる指導者を見つける話。主人公は家族と宗教の間で揺れ動いているように感じた。ここに関しては家族、宗教どちらもエミリーを支配しようとしているように思える。宗教に専念したいが、心のどこかで家族をおいていけないエミリー。そこに夫が支配しようと(もう一度つながりを持とうと、もう一度家族になろうと)酒に薬を混ぜて….と家族がエミリーを支配しようとする。逆に、家族とともにいたいが、宗教の戒律はそれを許さず、つながること(家族になれる)のはカルト宗教リーダーのオミだけ、宗教はエミリーを支配しようとする。

 とにかく3章は、性とそのつながりの深さを強く前面に押し出しているように見えた。破門されたエミリーの悲しい姿も記憶に残っている。あれも、1章のロバート同様憐れな姿だった。

 ストーリは1、2章の方が好きだが、衣装や色使いは全章の中で一番好き。エミリーのセットアップめちゃくちゃ格好いいし、相棒のアンドリューとのキャラの違いも良い。あの2人の絶妙なキャラが好きで、彼女らが双子の姉妹を探すために東奔西走する短編とか漫画とかが見たい。

RMFについて

 この人物に関しては、そんなに深く考えなくてもいいのかなと思っている。もしかすると過去作とのつながりとか、監督のこだわりがあるのかもしれないが、それはわからんので。自分が思うに、キャストが同じ、でも3章とも演じるキャラクターは違うという演出の中、1人だけすべての章で俳優もキャラクターも同じというのが、3章すべてに奇妙なつながりを生むからだと考える。

 事実、3章でRMFが生き返ったとき、じゃあこれは1章のひき殺された後なの、それとも生き返った後また1章でひき殺されたの?と考えてしまったし。RMFは考えるほどドツボにハマる気がする。

おわりに

 笑いのツボが何個かあって、1章の白黒の夢の中でハンバーガー食いながら謝るとことか、人を待ってる時の受付のおばさんとの気まずい会話シーンとか。大笑いはしないけど、ニヤリとしちゃうとこがこの映画には多くあった。そこがめちゃくちゃ好き。

 あと原題の「Kinds of Kindness」の方が邦題の「憐みの3章」より好きなのでそこだけはどうにかしてほしい。

 とにかく全章で家族、性、つながりが意識されていると感じた。あと支配もか。支配は一種の繋がり、家族も性も形は違うけど、人とのつながりの一種だ。その何かを媒体としたつながりをいろいろな角度から奇妙に描いたのがあの3章だと思う。

 いろいろと考察にあやふやでつっこむところも多いが、ゆるふわ評論なので許してください。

 以上。


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