「自由とは荒波に船を出す事である」 vol.31
ウチの⻑男も、小学二年生の頃から休みがちになり、三年生からはほぼ行かなくなりました。彼もまた、不自由な枠組みやそれを無意識的に従わそうとする教育に耐えられなかったのです。それは僕ら親の生き方に影響されている事もあると思います。
父親は定職もつかず、子供からしたら毎日サイハテ村で遊んでいるように見えるからです。(間違っていませんが…)ただ、それは数え切れないほどの苦難や試練を乗り越えてきたからこそある〝いま〟であって、 最初から好きな事や、やりたい事を自由にできていたわけではないのです。
例えば、プロのサッカー選手にしたって、毎日大好きなサッカーをして暮らしていけるのは、相当のトレーニングや挫折、敗北を味わいながらも、ひたすらにボールを追い続けてきたからこそ掴んだ〝いま〟なわけです。決して楽な道ではなかったでしょう。
他の人と違う生き方はリスクもあるし、成功を約束してあげることもできません、ましてや、道半ばで力尽き自暴自棄な〝いま〟にいる人も沢山見てきました。だから、僕は小学校を休みがちになった二年生の息子に何度も話をしました。
「君には小学校に行かないという選択肢もある。きっとそれが輝く自由の道のように見えるのだろう。でもね、勉強の本質もまた自由になるためにあるんだ。小学校に行けば沢山の事を学べるだろう。丁寧に教えてくれる教師もいるし、共に学ぶ仲間もいる。人生の先輩としてアドバイスをするなら、いまは小学校に通って言われた事をやっていた方がずっと楽なんだよ。小学校に行かない選択をしたら、何もかも自分で決めなきゃいけないんだから。」
正直なところ、〝自分の人生〟なんて事を考えもせず、大人に言われるがままに小学校、中学校、高校とそれなりに楽しく通っていた僕からしたら、学校に行かないという選択はあり得なかったのです。
父親から言われることを、なんとなく理解はできるものの実感が持てない息子は、小学校 と保護者との三者協議の末に〝週三登校宿題なし〟という折衷案を掴み取ることに成功しました。
歴代のサイハテの子供たちがいたからこそ、こんな選択が許されたのだと思いますが、 当の本人は半分自由を勝ち取ったようで満足そうでした。しかし、息子は早速自由による責任を味わう事になったのです。
勉強量が自分だけ減ったために、 クラスメートとの間にできない劣等感が生まれたのです。焦る息子は、勉強に代わる何かを自分で身につけなくては自由に生きれない、そう思ったのでしょう。大工ならどうだろうと、何100本も釘をトンカチで打ってみたり、小刀で木を削ってみたりしていました。思い通りにいかないし、何時間もやっていると飽きてくる。
じゃあ次はと、絵の練習を始めましたが、思った通りに描けなくて悔しくて泣く。弱い心を叩き直そうと、剣士になろうと素振りを繰り返すも、そんな仕事があるのかと悩む。
勉強に代わる天職を知りたいのにそれが何なのかが分からない。ほとんど小学校に行かなくなったある日のこと、息子が泣きながら叫びました。
「僕は本当に何が好きで、どう生きたら良いのか分からないんだよッ!!」
小学2年生でサイハテ村に訪れる大学生や社会人と同じ悩みを抱えていたのです。そして、感じたのです。これこそ自分の人生を生きるって事なんじゃないかと。
行動して、苦難を乗り越え、進んでいく道こそが自由なんじゃないのかと。だとすると、親としてできることは邪魔せず見守り、寄り添い続けることだけなんじゃないでしょうか。
僕は泣き叫ぶ息子を強く抱きしめ伝えました。「大丈夫、みんな同じように悩んでるんだから。大事なことを学んでるよ。」
次回は、vol.32「子どもの仕事は遊ぶこと」です。フォロー、スキ、シェアしてくれると励みにります!^ ^
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