「村づくりおじさんとコミュニティ疲れ」 vol.45
皆さんは〝独り〟という言葉を聞くとどんなイメージを持たれますか?暗く寂しいイメージを持つのではないでしょうか?孤独、独身、独房など負のイメージが強いと思います。
実際、独りでいるより仲間や家族と一緒にいた方が良い、と多くの人が望んでいるからこそ、「村づくり」や「コミュニティ」などがホットワードに上がっているのだと思います。しかし、心の奥底では多くの人が〝独り〟を求めているのでは、と思うことがありました。
それは、大分県は移住促進で注目を集めている竹田市にお邪魔した時のことです。県外や都市部から竹田市に移住する人たちが集まるシェアハウスでサイハテ村のトークイベントをする事になり、急でしたが20人ほどの移住者たちが集まってくれました。
僕はトークが始まる前に場を温めておこうと、こんな質問をしてみました。「この中で、一度でもエコビレッジに暮らしてみたいなぁ〜と、 思ったことがある人は手をあげてください!」
すると、20人中手をあげたのはたったの1人。その1人はつい先日サイハテ村に滞在したばかりだったので、実質ほとんど全員が「エコビレッジに暮らしたい」なんて思ったこともないという衝撃な事実を目の当たりにした訳です。
「嘘でしょ!?」と叫ぶと同時に急に恥ずかしくなりました。今まで自分は、都会の人ならまだしも、地方に移住するような人は、みんなエコビレッジみたいな暮らしがしたいけど、経済的な理由や、将来の不安などの理由で〝やりたいけどできない〟コトなのだと思い込んでいたのです。
だからこそ僕は、毎日のようにSNSを使ってサイハテ村の暮らしっぷりを発信していたし、その一歩を踏み出してほしい、という熱い想いを持って投稿していた訳で、これってただのリア充投稿ばかりの〝村づくりおじさん〟じゃん、、と恥ずかしさのあまりその場から帰りたくなりました。
しかし、理由を聞かないことには帰れません。なぜエコビレッジみたいなコミュニティに住みたいと思わないのか、参加者に聞いてみると「意識高い人たちばかりで窮屈そう」「人に合わせないといけないのがストレス」「同調圧力とか村八分とか人付き合いが大変そう」
などなど、そもそも集団生活というものにネガティブなイメージが強く、多くの人が集団生活の中でツライ体験をしていたのです。学校という名の集団生活、会社という組織の中で疲弊し、傷ついた現代人にとって、家こそが独りになれる休息の場所だったのです。
サイハテ村も一万坪の広大な敷地に住人たちの居住区やゲストハウス、スタッフがともに暮らすシェアハウスなど、様々な形態の生活共同体が存在し、常時30〜40人がサイハテ村に暮らしています。
僕はというと、3人の子供と妻と暮らしながら、日々訪れるゲストや住人たちとコミュニケーションを取り、毎日寝るとき以外(夢の中でまで村づくりをしていますが…)は、ほとんど村づくりについて考えています。
そのせいか、月に一度はサイハテ村の外に出たくなる時があります。 というか、月に二回は熊本市内のサウナーの聖地である〝湯らっくす〟に行ってリフレッシュするようにしています。
サイハテ村にいると常に誰かと一緒にいるため、無性に独りになりたくなる時があるのです。僕はこれを〝コミュニティ疲れ〟と呼んでいるのですが、人によって耐久性が違うのと、⻑く暮らしている住人ほど慢性的にコミュニティ疲れを引き起こしやすくなることが分かりました。
とは言え、一年以上濃密なコミュニティに滞在できる時点でサイハテ住人たちは一般の人たちより耐久性は高いのですが、特に、独りきりになれるパーソナルスペースがないスタッフほどバランスを崩しやすいことが分かってきました。
最初は、毎日のように訪れる刺激的な出会いや体験に高揚し気分も上がっていくのですが、インプットばかりが続き、独りで落ち着いて消化させるアウトプットができずに消化不良を起こすのです。
自分の思考がごちゃごちゃだと、コミュニケーションの質が落ち、些細なすれ違いから思いやりに欠けたり、相手を避難するようなコミュニケーションが生まれるのです。すると、あの人に嫌われているのだという思い込みが、さらに自分の行動を現実のものにしてしまいます。
コミュニティ疲れには他にも、みんなが頑張っているから私も頑張らないと、と自分のペースを崩したり、相手の言動が自分の常識に合わない時に嫌悪感を感じるなど、〝お好きにどうぞ〟のサイハテ村においても集団によって生まれる暗黙の不文律みたいなものがあるわけです。
そんな時は、一度立ち止まり、不満や不安などのモヤモヤを見つめることが大事になります。こういう場面ではこうするのが正解だ、とか評価するのではなく、それぞれが自身の心や相手の状態や気持ちに寄り添う時間が大事です。
「あの時元気なかったのは、ありがとうっていうひと言が欲しかったんだ」とか「いっぱい考えて、準備してきたアイデアを、つまんないの一言で切り捨てられたらいい気分はしないよね」と、消化不良の感情にみんなで焦点を合わせてみるのです。
そう思うと、コミュニティ疲れは色々なバランスを取り戻すための必要なサインなのかも知れませんね。
次回は、vol.46「働き者のアリと怠け者のキリギリス」です。フォロー、スキ、シェアしてくれると励みにります!^ ^
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?