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いつも辿り着くのは「諦め」という信念だった。


わたしの心は麻痺していたんだ・・・


内観をし始めてから、何度もそう思った。


昨日、投稿した記事を読んでいて
まだ自分はトラウマを持っていたんだなぁ
と、俯瞰して読んでいた。



親の喧嘩は当たり前だったし、
家の空気が悪いのは当たり前だった。


自分が「されたこと」じゃなかったから
こんなに内観してきたのに
気がつけなかったのだ。


自分が言われて傷ついたことは
トラウマとして残っていたから
気づきやすかったけど、
「間接的なことに囚われているんだなぁ」
と、しみじみと感じたんだ。


今まで実家で過ごしてきた日常は
わたしにとって「当たり前」すぎて
麻痺していたことにも気が付かなかった。


この当たり前が、
自分の前提条件になっているから
生きるのが苦しいのだと思う。



最近、自分が並んでいるレジの前の人が
対応が遅いと感じてイライラして
店員さんに文句を言ったり怒っている姿を
2日連続で目にした。


まるで、母親みたい人たちだった。


1日目は、少しイラッとした。怒りが湧いた。


2日目は、その不穏な空気感に
耐えられない自分がいた。


同じような出来事が2日続いて気づいた。



わたしが親に怒ったり反抗してきたのは、
恐怖を感じたくないからなんだ!!


自分の周りの空気が悪くなることが
トラウマになっていた。


不穏な空気感になると
「恐怖」を感じてしまう
自分に気づきたくなくて、
怯えてしまう自分を隠したくて
怒りに変えてきたんだ・・・


「恐怖」を感じてしまう
弱くて情けない自分を
見たくなくて隠したくて
親に対して反抗してきたんだ。


自分の弱さを受け入れられなかった。


ただ、不穏な空気が怖かった。

争っている空気が怖かった。

逃げたかった。


でも、当時は子どもだから
逃げられなくて戦うしかなかったんだ。




今まで母親がイライラしたり
不機嫌になって愚痴を吐き出して度に
すごくイライラして、母に怒ってきた。


我慢しながらも
「そんなこと、言うなよ!」って怒っていた。


でも、本当は母親に怯えていたんだ。


不機嫌な母親がいることで
また父と喧嘩するんじゃないか?

外で文句を言い始めて
何か嫌な空気になるんじゃないか?


それが耐えられなくて
いつも母に怒っていたんだ。


でも、
その怒りもいつの間にか「諦め」に変わる。




いつも、そうだ。

わたしは何かを諦める。


勝手に我慢して
勝手に怒って
勝手に諦める。



いつも親に対して思ってきたことや
頑張ってどうにかしようとしてきたことは
「どうせ、何をしても変わらないんだ」
と、最終的に辿り着くのは諦めだ。


わたしの中での
「通常ルート」が出来上がっていたんだ。


わたしの通常ルート(思考回路)

嫌な事象が起こる

感じたくない「恐怖・不安」が湧き上がる

「我慢」または「怒り」で隠す

人に求める・自分で無理やり頑張る

何も変わらないと悟る

諦めモードに入る

今まで「「怒り」は相手のせいだ!」
と、思ってきたけど違ったんだ。


本当は恐怖を感じている自分を隠したいから
その人への怒りを感じていたんだよね・・・


相手がムカつくのではない。


恐怖に怯えている弱い自分を
受け入れられなくて
自分自身にムカついていたんだ。



なぜ怒りが湧き上がるのか?

その恐怖や不安はどこから来るのか?



この根本に辿り着かないと
自分の通常ルートから
自分で道を変えることができないのだ。



感じたくない「恐怖・不安」は
一体、どこから来るのか?


それがわたしの場合は
ほとんど親子関係で感じたことや傷だ。


今回、両親の喧嘩を紐解いて
いろんな傷が出てきたから
自分の思考回路がわかった。
(面前DVと言うらしい。)



あの家にいたくない。

あの空気を感じたくない。

あの空気を感じると苦しくなる。

あの家にいる自分は自分じゃなくなる。


喧嘩中の空気は最悪だった。

自分の居場所なんかなくて
静かに聞こえないように
頑張ることで耐えてきた。


いつも緊張状態の自分がいたから
空気の悪い場面に遭遇すると
恐怖が湧き上がってきて
逃げるように諦めちゃうんだ。。。


わたしの仕事も恋愛も、
まさにこの繰り返しだった。


仕事でも恋愛でも
誰かと関係を深めれば深めるほど
いろんな恐怖を感じることが
怖くなってしまう。



「我慢」しちゃうのは
「嫌われたくないから」
→父親に対する思い

「怒り」になっていくのは
「自分を強く見せたいから」
→母親に対する思い

今までの自分のことを振り返ってみると、
無関心な父親への思いと
過干渉な母親への思いでは
自分の行動が違うことにも気づいた。


「父親への思いは、好きな人への思い」

「母親への思いは、仕事への思い」

なんとなく、そんな風に感じた。



どちらも根本は、
親に対して素の自分を見せたら
「生きられないんじゃないか?」
という生への恐怖な気がする。



それが一番強く出るのが「恋愛」なのだ。


わたしは、
「弱くて情けない自分」
他人に見せるのが怖い。


人前で泣くことができないのは
そんな自分を見せることが
最大の恥で羞恥心を感じるから。



恋人の前で強くあろうとした結果、
母親と父親への思いが強く出てしまうから
そんな自分を見たくなくて・・・
「諦め」へと変化していっていた。



本当は両親のことが大好きなんだ。


でも、そんな自分も認めたくなくて
雁字搦めで苦しい。


思いが強ければ強いほど
恋愛は親への思いが出てくるんだ。




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