読書メモ:真正の「共生体育」をつくる(梅澤秋久、苫野一徳)
本書の構成
・「共生体育」の理念解説
・共生に資する包摂(インクルージョン)に関する理論
・様々な共生に関する実践(本noteでは割愛)
成長社会から成熟社会へ
成熟社会は全ての人が精神的豊かさや生活の質の向上を感じられる平和で自由な社会。
よって、全ての人を包摂する「共生社会」という様相も同時に求められる。
小学校/中学校学習指導要領解説体育編/保健編(2017)においては、「運動やスポーツの多様な楽しみ方を共有することができるよう指導内容の充実を図ること。その際、共生の視点を重視しての改善を図ること」と示されている。
「共生体育」とは、文化としてのスポーツを学び合う中で、健康で豊かなスポーツライフを送るという〈自由〉に拓かれ、全ての学習者の〈自由の相互承認〉の感度を育む体育のこと。
筆者が推察する、これまでの体育=「成長社会の体育」の問題
①競技志向による問題
②共通の到達目標による問題
③体力テストの平均値向上を目指す問題
④体育教師の身体性による問題
①勝利が目的化することで、エクスクルージョンが生じる。そのような環境下では、主体的に「空気」のような存在になるという「負の学び」を実践しかねない。
②体育は多くの国で軍事力、労働力としての「身体(肉体と精神)の教育」が体育の使命だと考えられてきた過去がある。そのため、技能の獲得を目標とした、「目標ー達成ー評価」型のカリキュラムが蔓延し、できない子は「落ちこぼれ」、できる子は「吹きこぼれ」と感じやすい。
③目的達成意識や競争意識が誘発され、本来の体育の意義である、〈自由〉に生きるための基盤としての体力を身につけること、またその方略を学ぶことが意識されない。障がいのある子どもが「別扱い」されたり、平均値を下げているこどもが悪者扱いされる。
④威圧的態度と怒鳴り声等を生かす「軍人的体育教師像」にネガティブな印象を抱く生徒が多い。また、体育教師は自身の成功体験である①競技志向や②共通の目標達成③体力テストの成果向上を掲げやすい身体性を有している可能性が高い。
・「共生体育」の理念
体育における〈自由〉と〈自由の相互承認〉の原理
公教育とは、「〈自由の相互承認〉の感度を育み、その上で全ての子どもたちが自由に生きるための力を育むこと」
この観点から見る体育の本質的な意義とは、
①〈自由〉の第一条件としての健康な身体づくり
②スポーツを通した〈自由の相互承認〉の感度の育成
③文化としてのスポーツに親しむことで、〈自由〉で豊かな社会生活の土台を築く
体育学習における「共生」を考えるー〈自由〉と〈相互承認〉の視点から
高度スマート社会(society5.0)の時代においても普遍の学校の意義として、学校でしか〈自由の相互承認〉が学べないということがある。
工業型社会(society3.0)では、技の獲得が目標(「目標ー達成ー評価」型)とされていたのが、2016年(情報社会、society4.0)においては、オープンエンドな答えに対し、思考力を発揮し、協働的に最適解を発揮していく「主題ー探求ー表現」型のカリキュラムに整理された。体育においてすでにこの指導方略をとっているのが「戦術学習」。
「目標ー達成ー評価」型は、「階段型カリキュラム」といわれるのに対し、「主題ー探求ー表現」型は、「登山型体育モデル」である(図1−1)。
多様な他者との共生を取り入れる際に、勝敗の存在が障壁となる。梅澤は「教育における競争は、互いが切磋琢磨し、ともに成長し合うための手段」としており、格差の高水準から低水準の子どもたちが互いに遠慮なくゲームに参加できる「アダプテーション・ゲーム」(勝敗が50:50)の創造が重要であるといえる。
ユネスコの「『良質の体育』のガイドライン」及び「体育・身体活動・スポーツに関する国際憲章」(2015)において、「良質の体育」の核として「身体リテラシー」(生涯にわたり身体活動に親しむために必要な動機、自信、身体的コンピテンシー、知識ならびに身体活動に関わる責任と価値の理解)(図1-2)があげられている。このことから、学校体育は身体リテラシーの育成を中核としたものへのパラダイムチェンジが求められていることがわかる。これにより、共生体育の導入が行いやすくなる。
・共生に資する包摂(インクルージョン)に関する理論
全ての学級で不可避なインクルーシブ(共生)の教育原理
20世紀の産業主義の時代における教育の中心は「正解」の獲得であり、そのような画一的な学校社会において多様性は排除の対象とされてきた。
20世紀後半以降は多様性を包摂する成熟社会に向けた法改正がされてきた。
そうした流れにあって、生涯を通じて健康者・スポーツ者として学び合う基盤を育成・涵養するために「共生体育」が必須になる。
「良質の体育」(QPE:Quality Physical Education)における共生
インクルーシブ体育=障害の有無を包摂した体育 と勘違いされるが、全ての多様性を包摂するのが、ユネスコの提唱するインクルーシブである。
「包摂的な『良質の体育』」における3つの核
①インクルージョン
②子供の安全・保護
③身体リテラシー
③はさらに、①動機、②自信、③身体的コンピテンシー(資質・能力)、④知識ならびに⑤身体活動に関わる責任と⑥価値の理解と定義される。
既存のスポーツに子どもを当てはめるのではなく、多様な学び手に応じたスポーツの協働的創造によって、全ての子ども同士が互いを包み合うことが可能になる。
「包摂的な『良質の体育』」のもたらす5つの好影響として、
①〈男女共同参画社会〉や、②〈多文化共生の推進〉をし、③〈心のバリアフリー〉及び、④〈障害者雇用の拡大〉に繋がり、⑤人生の質的向上に資するとしている。
真正の「共生体育」の在り方ー4つの共生レベル
〈共生レベル0〉エクスクルージョン・・・違いを排除する。
〈共生レベル1〉ダンピング・・・放置、違いを無視する(投げ入れ)
〈共生レベル2〉インテグレーション・・・統合、違いに価値を置く
〈共生レベル3〉インクルージョン・・・包摂、違いを生かし合う
(図3-4)
共生という体育の新しい価値を全ての学習者に学ばせるためには、多様な子が、多くの子と関わり合う「繋ぎ役」としての教師行動が求められる。
運動・スポーツを「する・見る・支える・知る」と共に、「創る」力の育成(アダプテッド・スポーツの観点から)
豊かなスポーツライフの実現と共生体育ー「落ちこぼれ」だけでなく「吹きこぼれ」もつくらない
スポーツ庁は、「第2期スポーツ基本計画」において、日本におけるスポーツの定義を修正した。すなわち、①競技として限界に挑戦するものだけでなく②健康や仲間との交流など、多様な目的で行うものも加えられた。
成人してからも運動実施している(=豊かなスポーツライフを実践している)人は、子どもの頃の「運動経験」に加え、大人になってからの「運動好感度」が高い人。つまり、「運動好き」の維持が重要である。
体育の評価については、最新の学習指導要領においても、到達度評価という、「目標ー達成ー評価」型のカリキュラムに依拠しやすいシステムが踏襲され、「全員に同じ知識や技能を獲得させる」という教育方法に傾斜させやすいため、注意が必要。
「吹きこぼれ」防止には、①低水準児に運動の特性を味わわせるために、能力が高い学習者が、自身の力を最大限に発揮する。②全員にとって画一でないルールを作るといった工夫が考えられる。
例①水泳で水の中をスーッと進むストリームラインを意識して「みせる」
例②「アダプテーション・ゲーム」のような、全員が運動の特性をより深く味わうためのルールづくりの学び合い