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逃げることを選んだ私、闘うことを諦めた私はズルいのか?
書きたいことがたくさんあるのに、ふと我に返り、言葉を飲み込んでしまう。
私の人生は、私の手中にあるんだと気付き、自分の「好き」を、自分の意思で選びながら、生きていこう!と決めたのが数年前。
まずは夫から振り回されることに対してNoを出すこと、今までやりすぎてきた色々なことを1つずつ止めていくこと、を始めた。
それは同時に、罪悪感と戦うことでもあった。
罪悪感とゆう奴は、かわしてもかわしても、沸いて出てくる。罪悪感に負けずに、Noを貫くのはなかなかにしんどい。
大好きなポットキャスト「OVER THE SUN」のいつかの回で、スーさんと美香さんが提言していた「やりま宣言」を自分の中でも、声高々に(誰も聞いてないが)掲げてみたりして、数年かけて少しずつ色々なことを手放してきた。しかしながら、やらない自分とゆうのには、まだまだ慣れなくて、戦いの日々は続いている。
私は、自分が生きてきた人生が、人より不幸だとかを書きたいわけじゃなくて、ただ、自分の身に起きたことを、時には真剣に、時にはクスっと笑いながら振り返り、書いていくことで、良からばお焚き上げとなればいいな、それが1ミリでも、どなたかの後押しとなればいいなと、おこがましくも思っていた訳だが、そんなつもりで過去や現在に色々と思いをめぐらせていると、とりわけ、夫のことになると、てんでダメなんだとゆう壁に、現在ぶち当たり中。
書こうとしている思いが、言い訳みたいに思えてしまって、だんだん、何も言えねえってなってくるのだ。何をそんなうまいこと文章にまとめようとしているんだろう。全然クスっとなんか笑えないし、むしろ、毎日モヤモヤイライラしている。ドロドロのヘドロみたいな頭ん中を、なんとかかんとか、子どもの笑顔と、推しと、お酒と、noteで、すこーしだけ中和して換気しながら生きてるだけの中年女。それが現実。
ちょっと取り乱しました。なぜそんな気持ちになるのかと考えてみたところ、今の私はまだ何も選んでもないし、どこへも進んでいないから。夫を選んだ自分を許すことができないという現実に向き合わないといけない毎日が続いているから。なのだと思った。
夫との現実は今も続いていて、それは、まだ過去ではない。だから、思いを昇華したいとかいう気持ちになるのは、まだ時期尚早だ。
私は、今現在の問題と向き合いながら、過去とも向き合っていかなければいけない。そんなことに改めて気付く。
もしかしたら、夫との出来事も、書くことで、自分の中の絡まった思いがほどけていくかもしれないとも思うけど、夫に対して、決して褒められるような態度を取っていない今の私が、そんなことをこっそり書いて、一人だけスッキリしようとしているなんてズルいのではという気がしてくる。
自分に大いに甘くいきたいとか宣言したものの、夫とのことは、なかなか一筋縄ではいかない。
夫を選んでしまった自分の弱さには、育ってきた環境が大きく影響しているから、根源は母にたどり着いてしまうのだけど、結局はすべて自分が選んだ道。誰でもなく、自分の責任なのだ。
だからこそ、考えれば考えるほど、母に対する気持ちより、夫に対しての気持ちの方が、今の自分をがんじがらめにしているんだなということに気付かされる。
つまるところ、私は、夫から逃げることと、自分の心を守ることを選んだ。
闘うことを諦めた人間なのだ、私は。
しかたなかった。
あれが限界だった。
できる限り向き合ってきた結果。
まぁ、どうとでも言える。
結局逃げたことには変わりない。
子どもに家族という手本を見せれなかったことに変わりはない。
その責任を感じながら、良い文章にしようなんてゆう甘い考えは捨てて、ありのままを語っていく勇気が私にあるだろうか。こんなことを語っていること自体が、言い訳がましくズルいかもしれないな。
うーむ。夫とのことを書くには、もう少し時間がかかりそうだ。
一回、言葉も選ばずぶちまけてみようか…(悪魔のささやき)
今回はこのへんにしておきます。