見えるものと見えないもの。
自分のいいとことわるいところや、得手不得手も、強みや弱みっていうのは意識していないとわからない部分で、わかっていたとしても自分が描いているように他者に映るか、印象として残るかというのは別問題だし、相手が思うこと+感じることはズレることが多い。演技のクセもそう、声の強弱もそう、動きもそう、目線もそう。客観視するのも必要で、実際の他者の目も必要だったりする。それが評価だったり、反応でもあるけれど。でもそんなのはやってみないとわからないということも含めて若者ズ(渡辺靖之+山崎正悟)はワシの謎調教含めて、動画で戯れるのを開始しとったわけですよ。
他者、完全なる第三者からの反応っていうのを投げられるってことを受け取るっていうことの機会が少ない人は多いと思う。それは活動の仕方なのも影響していると思うし、それによって自分の需要がどこにあるのかわからないという悪循環に陥るのはどんな表現手段でもそうだと思う。基本は自分から近い人、身内、友達やらの反応が主だから。
ワシもまぁ近いところからの反応はあるけれど、もともと当初、幼少期から第三者からの反応をもらうという環境にこう獅子の子落としのようにやられていて、でもそれは専門家も含めつつだけれども、そうではない層からの方が多かった。大雑把に言えば「芸術に触れない、カテゴリ好きはあってもそのジャンルに興味なかった」層からのものね。結果、最終的にはマニアックなとこだよね、それは!なんだけど。
普段の服装や髪型、TPOはあるとしても性別不明にすることをさっさと決めていたので「売れないミュージシャン」という何でそのコンセプトにしたのか不可解と言われるけれど、写真にしろ何にしろ自分のイメージと印象と言うのはほぼ固定させるようにして、作品は作品でまた一定の方向性というかテーマとコンセプトはどの表現手段にしても変えずにいる。変えて書いたりすることも出来るけど、自分に求められてるのは何かってのは10代後半ではもう「そやな」になっていた。
若者ズ(渡辺靖之+山崎正悟)はまぁもう大人ではあるのですけれど、曖昧なところであるのよね。二人、気持ち年齢差あるけれども、どちらの年齢時にしても当時のワシはもう固定していた。
というのを先日、画像並べて遊んでたんだけど、胡散臭さだけが増えているということを自覚はしたけども、周囲の反応もそうだった。この2006年や2007年より前の人ら、80年・90年代…10代からの人らからは不気味なほどの変わらなさを言われる。まぁワシは役者ではないので特にそれメリットないやつだ…だけども、特に流行を追わないのでそういう服は買わないアングラな生き物なので平然と20代に着ていた服とか着てるし。
何にしても年齢でいろいろと変化するものです、加齢というのがもれなく付きまといます。でも現時点で、自分が本人的にも第三者から見てもという方向はいろいろと探さないと、人前に出たり、声の仕事だとしても損でしかない。もう完全に映像で若者ズとワシの遊びになってやらかしまくってるのがたまってるんだけどさ、今アップされてるのでもやはり見えるものと見えないものはあって、若者ズはまだいろんなものを探せるんだなぁとワシは感じる。本人達は定まらないこと、自分と第三者との需要と供給のバランスとどこを狙えばいいのかわからない、ズレているという葛藤はあるようだけど。
いいよねぇ定まらないのって…と思うわ。(老体発言)
まだ自由だ。だけどそこをズルズルしちゃうと勿体ない。本数たくさん出して、いろんな面探して、自覚して、身近な人間だろうと構わないし、第三者だとしても反応もらえたらね、と思う。
弄びがいがあるわぁと内心思っているのは内緒です。
気が向いたら挑戦してる若者ズに愛の手を下さいましな↓