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正解はないシンプルなこと。

もう制作仕事完全引退敢行していたのだけれども、人手足らないヘルプが来たので新型コロナ禍になってから初の現場テケテケを受けた。少し考え事をしたいのと実際の現状はどうなんだろうなと見たかっただけなんだけど。

制作として、今の状況での手間や気をつけないといけないことの量というのが増えているのは別に現場行かなくてもわかることで、公演期間に発生することも予測出来るからそこはどうでもよかった。予想外は消毒薬やらでの手荒れに自分がやられるくらいか。

知りたいというか、自覚したいことは「この先、自分の公演打つ気になるのか、どうなのか」という点だけだった。すでに来年のガチ公演を白紙ってるのでやる気は当分ないなというのは決定事項なんだけど、初心の部分を少し考えたかったんだよね。

幼少から演劇に進めと親に言われていたが、自分はまったくその気がなくていろんな表現媒体に手を出していたわけなんだけど、最終的にまぁちょっとそっちに行くかとしたのは要因幾つかありましたがさ、全力で周囲に止められていましたけれどもさ、いろいろ手を出したことをまとめるのに舞台空間に行くのが手っ取り早いなというのと、数の問題がでかかったわけですよ。例えば一週間個展やって訪れるお客さんの数と公演1本打った場合のお客さんの数の違い、差というのはかなり大きかった。

売れる売れないではなく、一人でも多くの人に受けとってもらえるかどうかというのが10代の自分の課題だったのだな。物凄く単純な話です。

そして完全沈黙からの復活して、小さい小屋でキャパ少ないところでやってみて、まぁガチ公演、現役時代の集客近くまで戻そうかなと思っていたところのコロナでございます。ソーシャルディスタンスだから客席は間引かないといけないわけです。小さな小屋でやったら、さらに客席は少なくなり、大きな小屋でやったとしても小さい小屋レベルの客席数しか確保出来ない。

ここで二つの思考が改めて発生するのです。

「一人でも多くの人に見てもらう」と、それと同時にもともとあるけれど「一人のお客さん相手だとしても構わない」という考えが湧き出るわけですよ。これは演劇問わずのことで、何作ろうとも送信する側としてはずっと自分につきまとっている思考ともいう。

現状で公演やろうとしている人らの考えを否定する気もないし、やらないという選択をする人も否定もしないし、それぞれの考えですればいいとは思っているけれど、自分だったらなーという自分に突き付けるものではあって、それはもう完全に演劇どうこうではなくて、自分にとっての表現とは何か、というところの話。

というところをブツブツ考える為にテケテケしに行ったんだけども、動画作って公表している影響も無きにしも非ずだけど、このソーシャルディスタンス必須の中でやる演劇という表現媒体に対して、作りたい空間というものとしてもそうなんだけど、自分の表現に対する思考やら求めるものというのがシンプルに合わないなというのは感じた。もともといろいろな意味で合わないとは言われていたけれども、それとは別。でもこれはあくまでも自分の話だからね、他の人には当てはまらないでしょう。

小さくコツコツと続けるでいい年齢と言えばそうなんだけども、自分はやはり一人でも多くの人に投げ続けていたいというのが先で、それは萎えることは一切なく、いわゆる演劇好きの人の演劇に対する考えと根本的に違うと言えば違うんだと思う。もちろんみなさんもMAXの客席で…というのはあるだろうけれども、いろいろとそれぞれに言う演劇の魅力というものに対して自分はそもそも執着がまったくない。まぁ演劇嫌いとかそもそも言ってますけどね、昔から。空間というものへの執着はあるけど、演劇ではないし。

そこんとこだけ改めて納得しつつ、よくわかんない投げられ方をしている企画幾つか、別の表現形態、とはいえジャンル移動というよりアングラセンス暴発の形への移行っていうのをするかなぁとぼんやりと思いましたよ。

投げられている企画についてはしばらく考える。やるとは思うけど、まだ動く気がないなぁ、多分きっと。

何にしても作る上で縛られたくないんでしょう、自分は。

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