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Si Se Puede!

 ああ、またですか?
お得意の”健常者マウント!”
ベッドの上の寝たきりの私は心の中で呟やいていた。
二人の私と同世代の女性ヘルパーは、私に話しかけることなししに私の体をゴロゴロ動かしてリフトのシートを入れこんだ。
これは毎朝の私の部屋の「ルーティン」だ。
この施設に来た初日から、ここに来たのは間違えだったと私は悟っていた。
それは、些細な事かもしれないけれど、職員が目を合わそうとしないという目を合わさないことは、私にとっては「ヒトとして認識していない」と想えた。目を合わせない=無視されているように思えて、私は酷く傷ついた。
そして、コミュニケーションを重視した施設にいた私の人生は絶望の縁に突き落とされたように感じた。

 かと言って、寝たきりで動けなく声も出せない私には、施設しか選択肢はなかった。
私は奈落の底に落とされた日を送っていたのだけれども、一部の看護師さん達は、私を一人の人間として扱ってくれるように思えた。
彼女達と他愛のない事を話すことが、腐ったみかんみたいにふてくされていた、私のどす黒い施設の生活に彩りを与えてくれた気がした。
施設の愚痴も言える看護師さんの訪問看護の時間は、私の癒しの時間となっていった。

 ところが、そんな私の癒しの時間は、まるで小説の苦難の時期を与えられた主人公のように、突然終わりを告げる。
彼女たちが一気に5人も退職する事になったからである。
それは私が施設入所して3ヶ月経つか経たない頃だった。
私と目を合わさないヘルパー達は介護が好きで働いているようには見えなかった。
そんな彼らを優遇するこの施設は
私にはあからさまな(利用者より)職員ファーストの施設だと思えた。
そんな施設に最初のうちは、反骨精神つよめの私は職員の態度やスキルについて社長に提案をしてみたが、「うちにはうちのやり方がある」と言われなしのつぶてだった。郷に入っては郷に従え、なのだ。
だから、看護師の彼女達が退職する理由も、こんな施設だから怖くて面と向かって聞くことができなかった。
せっかく彼女達に出会えたのに、愚痴も聴いてくれるきちんと人達だったのに、絶望の淵から奈落の底に落とされた気持ちになった。私の人生も万事休すか、と思っていた。

ところが、一筋の光が見えた。
それは、退職した看護師の一人のMさんにlineを聞かれたことだ。
なぜ光かと言うと、一般に退職する職員は利用者と連絡を取らなく(それでも私は取っているけど)Mさんは今回辞めた看護師の中でも、連絡を取りそうにない方にいたからだ。
私は別の意味でこの予期しない出来事に動揺した。
更には、Mさんとline繋がると、残された私を励ますばかりか、何とか私が施設から脱出できるように色々考え調べてくれた。
その方法がなんと私の1人暮らしだった。
体が動かない私が”ひとり暮らし!?”
これには私は半信半疑だった。
でも、同じ施設から同じALSの人が1人暮らしをしている、と聞いて真実味を帯びてきた気がした。
1人暮らしなんて不安だけど、ココで愚痴を言って腐っているより良い、と私は心を決めた。

そこに、Mさんが私の右腕以上の仕事をしてくれた。
先ずは家探しだ。これが予想以上に大変だった。
なぜなら、車椅子可がないのだ。車椅子の車輪の後が付くからと言う。
皆さんご存知ないのだ、最近の車椅子はよくできていて(少なくとも私のは)フローリングにあとはつかないのだ!
それでも、その事実を良い歩くわけにもいかない。
そう悩んでいると、Mさんがどこからかアパートを何軒か見つけてきた。
アパートはりょう隣に車椅子のでいりで音が響くから除外。
次にMさんが二階だてを見つけてきた。が、訪問看護や訪問介護の人達が駐車場ないとダメ。
Mさんが見つけてくれても、その都度問題が浮上した。ひとり暮らしは前途多難に見えた。
家探しだけで半年近くかかり、1人暮らしなんて夢のまた夢では!?と思い始めたとき、介護用にリフォームしたという借家を
M、さんが探し出してきた。
まさに打って付けの家が見つかった。
それをMさんと見に行くことになった。
ヘルパーさん達が休むスペースもあり、壁紙がオシャレで私は一目で気に入った。
それが今の家だ。
人生山あり谷あり。私の挑戦はまだまだ続く(笑)

#挑戦してよかった

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