「小さな会社と私」になるまで。Vol.1
「毎日が文化祭の前日のような仕事がしたい」
「なるべく、異なる仕事に触れたい(仕事の機会性が欲しい)」
と思いがあり、広告代理店の就職を目指した。
しかし、ヤンキーとバンドマン、HIPHOPPERしか居ない、レペゼン湘南のハイスクールに通っていて、高校3年にやっと「大学いかなキャ!」と思い立ち、英単語なんて2、3個知っている感じから、大学受験。
中堅大学に現役で入学したものの、特に何か意識があるわけでも無く、ただ4年間をすごしていた。
意識高い系が群がってエントリーシートを書いて送り、数万人。
採用は若干名。
今思えば、何の武器も無く、クラブでちょっとナンパするくらいのコミュニケーションを披露するくらいでは、入れてくれる会社もない。当たり前だった。
しかし、それすらもわからなかった。
(わからないことがわからない。誰も教えてくれないし、気づくこともなかった。)
とりあえず、ある程度きちんとしてればOK!的なコンビニエンスストアに社員として入社。
配属は、卒業した大学の校門の前のコンビニエンスストアだった。
コンビニエンスストアは、鬼のような時間だった。
「24時間営業しているから、お前は24時間働ける!」と営業部長。
そんな中、「CSヲアゲロ!」とおっしゃる。
部長、ESってしってますか?と問いたくなる。
それこそ、本気で居なくなる人。(半年位経って、ホームレスで見つかる的な。)無断欠勤する店長。
いろーんな人がいて人生色々。島倉千代子である。
基本業務はAM8時に出社、23時〜24時に退社。の繰り返し。
それでも、月6日くらいは休みがあったので、そこそこ元気だった。
同期内では、要領もいいこともあってある程度期待されていた。
しかし、これではいかんなー。。と思いながらクリスマスケーキを30個位自腹切って購入。売れてない店舗は、何かとうるさい。初めてもらったボーナス的なもんで買ったのは、クリスマスケーキ。
笑えなかった。
よく来る教授を捕まえて、広告関係のルートが無いか探す。探す。
どーにか、1社スーパーコネで面接を受けるところまでこぎつけた。
しかし、面接日は大学の文化祭の最終日の翌日。
外売りを任せられていた私は準備で準備で、当日当日。
(大学の文化祭は1本100円の唐揚げが、1日4,000本も売れる)
初めて任された担当をヤリきって、疲れ切って。面接に寝坊したのだ。
9時30分からの面接で起きたのは、9時12分。
どーやっても間に合わない。
嘘をつくこともできず、そのまま正直に寝坊した旨を話し、リスケ。
リスケしてくれたのだ。なんと寛大な。(コネのおかげなのだが)
後日、面接も終了し、入社。
晴れて、広告代理店に入社が決まった。
社員数15名程度年商5億くらい。
一応、媒体周り(テレビラジオ新聞、雑誌)など諸々直接取引できる会社であった。
実質7年間ここでお世話になるのである。
そこから、4名で独立。
独立から丸3年が経つが、「小さな会社と私」という環境がはじまった。
個人スキル、勉強、取り巻き、展望、協力、立ち上げ、いろいろなワードがこの3年で飛び出してきて、決断、進行。お金無い。など取り巻く状況を打破しながら動いていく日常の「糞食らえ!」を書くものです。
[1]終わり。とりあえず。