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教育の原点(2):同和教育の成果

「学習指導要領」の大幅改訂に伴い「評価・評定」の基準や方法が大きく変わる。教科書も新しくなる。数年前より,それに対応すべく校内外で研修が持たれ,各教科ごとに議論が重ねられている。今回の改定では3つのキーポイントが挙げられているが,特に「主体的・対話的で深い学び」(「アクティブ・ラーニング」の視点)が重要視され,教師に「指導と評価の一体化」が求められるようになったことだ。

「新学習指導要領」が提起する教育改革に期待する一方で,不安な思いも強い。それは「学力格差」「学歴格差」の助長である。「経済格差」が「学力・学歴格差」を生み出してきた歴史を忘れてはならない。それに抗ってきたのが同和教育であった。

この20年間,果たして同和教育が積み上げてきた成果は生かされ継承されてきただろうか。残念ながら否と思う。忘却されてきたようにさえ感じている。その責任は後継者に伝え切れていない我々の責任だ。
時代の流れではあるが,あれほどに中心となって同和教育の実践を行ってきた者が,「人権」と事あるごとに声を上げていた者が現場を去り,あるいは管理職となった現在,文科省や教委の方針に盲従し、その指示を「トップダウン」する。表面的には「生徒のため」の実践的な教育改革と見えるが,その理念はどうであろうか。形式的・画一的な方向に流されてはいないだろうか。

以下の文章を書いたときから10数年が過ぎている。しかし,今読み返してみても,あらためて同和教育が大切にしてきた理念は色褪せていないことを実感する。再掲する。
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本校は授業改善の研究指定を受け,本年度より研究に取り組んでいる。一学期から夏季休業中にかけ,校内研究・研修を重ねてきたが,私自身はどこか違和感を感じていた。それは,ここ数年の研究指定のほとんどが文科省の全国学力状況調査(学力テスト)の結果を反映したものであり,要するに子どもの学習能力としての学力を向上させ,勉強のできる子をつくるために,教師が授業力・指導力を高める研究であることへの抵抗感でもある。

近年出版された関係図書も幾冊か読んだし,先進校の実践例も調べた。だが,技術論・技巧論か専門的な分析論かのどちらかで,参考にはなっても,違和感は消えなかった。そんなとき,偶然に古書店で手に取ったのが,関東授業を考える会編『生徒の心にとどく授業』である。買い求めて家に帰り,一気に読み終えた。

この本は,都立南葛飾高校定時制の教師たちの実践記録(報告)である。「はじめに」として,申谷雄二氏は次のように書いている。

教室の中で寂しい思いをしている者に光があたる,このことをとおして生徒が,クラスが変わり,学校が変わる。そこにこそ,本当の教育はある。…部落出身生徒,在日朝鮮人生徒,「障害」を持った生徒への自立をうながす私達の取り組みは,世間が負とするものに向かってそれを正とする真実を見る,このことをのぞいては当の生徒の心のゆがみを糾すことができないし生徒の自立を実現することもできない。しかし,これは当の生徒に,この日本の社会の中で「目先の利益ではなく人としてそのように生きないか」という呼びかけだった。この営みは拒絶にあいながら執拗にくりかえされることが多かった。生徒にそのように呼びかける時,教師達も自らを問われ生徒と生涯歩き続ける覚悟も必要とした。

申谷氏を中心に,授業創造に取り組み始めて十年の成果,「教師達が生徒によって救われ導かれ,変わることができた」「生徒の心に授業をとどかせた記録」を読み終えて,懐かしい感動を覚えている。
懐かしさの理由は,本書が1985年出版ということで,報告された先生たちの実践が1970~80年代であり,15人の教師それぞれの実践が私に同和教育の世界を示してくれた先輩たちの実践と重なるとともに,若き日の私自身の実践とも重なるからだろう。本書に登場する生徒たちの姿は,私自身が関わってきた生徒たちの姿であった。幾人もの教え子の姿,彼らとの日々が走馬燈のように蘇ってきた。
また,15人の教師たちに深い影響を与えたのが,林竹二氏であることも本書に惹かれた理由かもしれない。

文科省の全国学力状況調査が実施され始めて,現場での研究会や研修会が変わってきたように感じる。授業改革・学力向上に関するテーマが多くなってきた反面,同和教育や人権教育に関する研修会は,県や市の単位で行われる講演会が多くなり,実践交流会や実践発表会などが少なくなっているように思う。
一昔前,特に法が切れ,同和教育から人権教育へと移行していく前までは,各学校や地域・地区での実践的な取り組み,部落問題学習の実践事例研修会などが頻繁に行われていた。ここ数年,通り一遍の部落問題や人権問題に関する知識理解だけの若い教員が増えてきているように思う。新採用研修・初任者研修,さらには5年・10年の経年研修もあるが,部落問題に関して,どの程度の研修が行われているか疑問に感じる。

同和教育の重要な柱として「進路保障」「学力保障」があった。それは,現在のように「学習能力」の向上をめざすだけのもの(本当はそうではないのだが,そのように感じてしまう)ではなかった。低学力の生徒や授業に気持ちが向かない生徒,教室には入れない生徒,粗暴な生徒…そんな生徒たちの<生活背景>こそを課題として受けとめ,そこに積極的に関わることで「進路保障」「学力保障」を目指そうとした。「一番しんどい子」を中心(福岡では「検証軸」と呼んでいた)とした授業を構成する。ただ「わからせる授業」ではなく,「わかろうとする授業」「学びたい授業」を作り上げようと取り組んできた。

本書の最後に,「私たちの歩みと授業創造への模索」と題した武藤啓司氏の一文がある。本書に集録された実践報告を総括するものであるが,まさしく同和教育の原点(出発点)がここに書かれている。

…学校というものがすでに子どもたちの生きられない場となっていることから,その解決を政治的,社会的な変革に強く求めていたといえるでしょう。しかしそれは,体制変革,教師の権利の擁護や確立,自己解放は志向されても,現実,目の前にいる教育のなかで切り棄てられ,差別の底に追いやられている子どもたちの姿を見ることができずその痛みに気づくこともできないでいました。自分自身の解放と子どもの解放とを実践的に重ねる意識が抜け落ちていたということができると思います。

…しかしさらに私たちが,それまでの子どもや生活にかかわる姿勢や見方を,理念として悔い改めることによって,そこからすぐに子どものかかえている現実や閉ざされた心の奥が視えてきたかといえば決してそんなものではありませんでした。
目の前にいるもっとも気になる子,クラスのなかでもっとも重い生活を強いられている子を徹底して追いかけ,彼の生活の現実を識るためにその家庭に足をはこぶところから,私たちはその歩みを始めたといえるでしょう。

…「今どき,部落だ,差別だといってやがるのはどんな野郎だ」とつめよられるということもありました。
これは部落を隠さねばなお生きていけないという現実の反証でしょう。部落差別から解き放たれるということは,「部落」や「差別」ということばが使われなくなれば済むということではないのです。むしろ,自分が部落民であることを堂々と名乗り出られること,部落民であることが誇れることではないでしょうか。そのような部落の側の主体的力量と,それを受け入れ,対等に結び合い,支え合える周りの状況をつくり出すことが,同和教育=解放教育の仕事だと考えているのです。それには,どんなに拒否されようと,やはり足を運びつづけなくてはならないのです。

私が同和教育に関わり始めたとき,先輩教師から教えられた自分たちの取り組みの姿と重なる。同様の話は,林力先生からも全同教結成までの歩みとして聞かせてもらった。
全同教のスローガンである<被差別の現実に深く学ぶ>は,このような先輩たちの実践から確信されたものである。
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林竹二先生の名を初めて耳にしたのは,高校時代の恩師から1冊の写真集と数冊の本を見せられたときだった。高校生の時か,教育実習生として母校に帰った時か,記憶が定かではない。高校の時は教師になりたいとはまったく思っていなかった。大学に残って研究者になることを志望してその道を歩んでいたから,恩師の影響を受けて教師を志した後のこと,研究室にいた時かもしれない。とにかく,林竹二氏との出会いは恩師の紹介であった。
その写真集は,確か神戸の湊川高校での授業風景を写したものではないかと思うが,何よりも生徒の眼に惹きつけられた。すべてを「眼」が物語っていた。真実への渇望,自分自身への問いかけ,学ぶこと・考えることの喜びがその表情に、その瞳に表れている。強烈だった。
恩師に借りた数冊の本を読み耽り,自分でも本屋で買い求めた。『授業・人間について』『教育の再生を求めて』『教えるということ』『学ぶということ』などが今も書棚にある。だが,教師となって,いつしか手に取ることもなく忘れていた。

…「いい授業」「うまい授業」というものも何回か観たり,読んだりしてきました。しかし,そのほとんどが,クラスの最底辺におかれている子を視野に入れ,彼の心をとらえようとして行われるというようなものではなく,教える側に教えるべきもの,教えたいものが先行してしまうと言うのがほとんどでした。林先生のいわれるように「授業研究に熱心な先生はたくさんいます。だが,その熱心は,授業研究の中にもっぱら教師の救いをもとめているので,子どもの救いを求めているのではない」といったものでした。

私が違和感を感じたのは,このことであった。小手先だけの授業改善では本質的な解決には結びつかない。知識の伝達だけでは,魂が揺さぶられることはない。
武藤氏は,「授業にかかわる基本的なあり方」を,次のように提起している。

授業の創造で目指されるものは,充分に学問的な成果と検証を踏まえたものであるだけでなく,一回の授業が終わればそれで教師のあり様と無縁になるといった外在的なものであってはならないということ。
生徒たちが学ぶことで,一つの新しい力が引き出され,新たな未知の世界に生徒が入っていくそのことによって,生徒が自分の中に新しい課題や力が存在することを発見し,生きるよろこびや意欲が引き出されるようなものであること。その授業のなかで,教師が一方的な教え手としてではなく,生徒と共に学習し,共に高まるというようなものでなくてはならないということ。

当たり前のことではあるが,この当然のことが実践できているだろうか。ここ数年の同和教育から人権教育へと移行するなかで拡散化・浅薄化されてきた部落問題学習にその事実を見る。それゆえ,授業改善ではなく授業改革の必要性を感じる。
授業は誰のためか,この教育の原点を忘れたがゆえの学校崩壊であり生徒の授業離れ,学力不振なのだと思う。学力だけなら塾で十分という声も聞く。改めて,授業とは何か,真剣に問い直すべきだと実感する。

私たちは自暴自棄に堕ちこみ荒れている子どもたちの多くが,自分を生んでくれた親を恨み,出自や家庭を呪い,己の生きる意味を見出せないでいるのをみてきました。
そうした子どもたちが,優しく,しかも堂々と胸をはって生きるよう変容していくとき,そこには必ず,両親を恨んでいた自分を恥じ,親の背負ってきたものを認め,それを受けとめようとする姿がみられました。
刻印されてしまった自分の歴史的,社会的存在規定性を,ひとまず事実として受け入れ,担いぬく決意を固めることによって,自分や自分につながる人々をいとおしい存在と素直にいえるようになるのだと思います。

私自身は一度も両親を恨んだことも軽蔑したこともない。父親の職業を恥ずかしいと思ったのは,友人の目・世間の目を気にしたからであり,そのような世間の目(職業に対する貴賤観)をまちがっていると思いながらも気にしていた自分こそを恥ずかしいと思い,家族のために働く父親に感謝と尊敬の念を抱いていた。私がスポーツや勉学に励んだのは,むしろ父親への感謝と恩返し,愛情に応えようとする気持ちからであった。
しかし,世間は必ずしも私の気持ちをそのようには受けとめはしなかった。私に対して,職業に対する貴賤観から蔑んで見るか,逆に憐れんで見るか,私の本心など知りもしないでわかったかのように説教するかだった。
そんな自分自身を解放してくれたのが同和教育であった。だから,上記の一文がとてもよくわかる。

本書に登場する申谷雄二氏ら15人の南葛飾高校定時制の教師たちの実践は,まさしく教育の原点と確信する。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。