鰯雲足元にチワワととととと
こんにちは、emuと申します。
今朝、男性が犬を散歩していました。犬は2匹、1匹は小型の柴犬、もう1匹はチワワです。チワワはおしりをフリフリしながら右へ左へウロチョロしていました。文句なしに可愛いです。
ふと思いました。
彼らは自分が可愛いと分かっているのではないか?私は彼らに可愛いと思わされているのではないか?主体で考えがちですが、実は客体が基本なのかもしれません。
これは一種の操られている状態と言えます。私は常に何かに操られているのかもしれません。犬を見て可愛いと感じる、しかしそれは可愛いと感じるように犬、もしくは経験に操られているのかもしれない。
そう自覚したうえでなお
可愛いと思うのか?可愛がるのか?そう思うと可愛いと思いたくなくなるのか?いや、よく見たら全然可愛くなんかないと強がるのか?しゃくだから可愛がらないと反発するのか?etc.
操られていたとしても選ぶものは何か?
この選択は自由であり、人によって変わってくるところだと思うのです。
いや私は操られてなんかいない、ただ可愛いと感じただけだ、可愛いから可愛いだけだ、とも考えました。探せば確かにそういったものもあるかもしれません。しかし外部の影響を全く受けていない、全てを自分の自由意思で決めている、とは考えにくいと思いました。
可愛いと思わせてくるチワワは小癪なやつだなぁ、でもやっぱり可愛いよな、と考えていた駅までの道のりでした。