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対話による学びほぐし「アンラーン」を一緒に学びほぐしてみよう!(第三夜レポート)

エンパブリックスタッフの萩元直樹です。
「一緒に考えるUnlearn」の第三夜を開催しました。

今までの記事はこちらからご覧いただけます↓

第三夜の学び

論文の掲載先とタイトル

一般財団法人日本青年館発行の『社会教育』2023年8月号に掲載されます。
タイトルは、このイベントからヒントを得て、このようにしました。

また、イベント参加者への感謝の意を込めて、執筆協力としてempublic Studioをクレジットしました。
empublic Studioから生まれる価値をこれからもたくさん増やしていきたいと思います。
 
アンラーンに興味を持っている方に、このサブタイトルを読んで「あれ?」と気づいていただくことを期待しています。

戦前、私はニューヨークでヘレン・ケラーに会った。私が大学生であると知ると、「私は大学でたくさんのことをまなんだが、そのあとたくさん、まなびほぐさなければならなかった」といった。まなび(ラーン)、後にまなびほぐす(アンラーン)。「アンラーン」ということばは初めて聞いたが、意味はわかった。型通りにセーターを編み、ほどいて元の毛糸に戻して自分の体に合わせて編みなおすという情景が想像された。 
大学でまなぶ知識はむろん必要だ。しかし覚えただけでは役に立たない。それをまなびほぐしたものが血となり肉となる。
徳永は臨床の場にいることによって、「アンラーン」した医者である。アンラーンの必要性はもっとかんがえられてよい。

(徳永進さんとの対談の後、考えた)臨床で末期医療見つめ直す 鶴見俊輔」朝日新聞
2006年12月27日朝刊より引用

この記事の最後の文章「アンラーンの必要性はもっとかんがえられてよい」を書いた哲学者の鶴見俊輔氏のオマージュと、empublic Studioでの2日間の対話を経て、このサブタイトル考えました。
みんなで考え合うと良いんです。アンラーンという行為は、本来一人ではできないので。

第三夜の学び

私が書いた論文の原稿を数段落ずつ順番にみんなで読みました。私としては、そうしていただくことで客観的に文章を眺めることができました。また、小学校のときの懐かしさをみんなで感じました(笑)
 
そこで気づいたことは色々ありますが、中でも象徴的なことを紹介したいと思います。
私は、アンラーンのサイクルについて、最初このように考えていました。

これを基に、みんなで更にアンラーンしていく中で、「そもそも二次元でも三次元でもアンラーンを表現するのは困難」という話になりました。
「上から見たらいいんじゃないか!?」「いや、こうしたらどうか!?」などなど・・・

詳細は省きますが、その話し合いの成果として私の考えの行き着いた先が、こちらの図です!

アクティブ・アンラーニング」の宇宙モデル
(アンラーン論を基軸に実践的な学びのあり方を描いた図)

一つ一つの小さな円(行為や能力といったアンラーンの要素)や大きな球体(自分自身の学び方・考え方)は、そのプロセスの中で自由に形づくられます。周辺部には、他者との学び合いの中で創造性やコミュニケーション力が高まっていくアウトカム(成果・効果)としてその一例を記しました。

第三夜のあとに考えたアンラーン

今回の全三回のイベントで、私自身、アンラーンを学びほぐす過程がとても楽しめました。そして、それには終わりはないことも改めて感じました。
一緒にやいのやいのして学びほぐし合った皆さん、本当にありがとうございました!!
やはり、アンラーンし合える他者の存在が必要不可欠であり、学びは宇宙のように無限にあることを実感しました。
 
一般財団法人日本青年館『社会教育(通称、大判社会教育)』2023年8月号掲載の「アンラーンを学びほぐす―アンラーンの必要性はもっとかんがえあうとよい―」は全8ページ、文字数は1万字ほどです。
ちなみに、社会教育とは、学校や家庭以外で行われる学びのある活動全てを指しますので、この機会に興味を持っていただければ幸いです。
私自身、文部科学省「社会教育士」のプロモーターをさせていただいております。ご参考にご覧いただければ幸いです。
https://www.mext.go.jp/a_menu/01_l/08052911/active/active-03.html

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